受難の主日A年 (マタ21,1-11;マタ27,11-54 )

「総督が、『二人のうち、どちらを釈放してほしいのか』と言うと、人々は、『バラバを』と言った。ピラトが、『では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか』と言うと、皆は、『十字架につけろ』と言った。」マタ27,21

イエスは、出会ったすべての人々のために真の善を、彼らが最も必要としていた善を行ったことによって、彼らに対する自分の愛を示してくださいました。それにもかかわらず、彼らは不正な裁判を行って、イエスを辱め、死刑の宣告を下しました。こうして彼らは、神の望み通りに、イエスを敬い受け入れることによって命を選ぶ代わりに、イエスを排斥し殺すことによって、死を選んだのです。

バラバの釈放は、このような誤った選択を象徴的に表しています。群衆には、神の子であったイエスを釈放するか、バラバを釈放するかという選択が与えられました。バラバ(バル・アッバ)という名は、「父の息子」を意味します。当時それは、盗賊の親分の息子が付けられた名前でした。要するに、群衆の前に二人の息子が立たされました。一人は、命の源である父の息子で、もう一人は、命を奪う人の息子であったわけです。群衆の決断に従って釈放されたのは、人々を殺す人の子でした。命の与え主である父の子は、死刑に処されることになったのです。

この出来事は、イスラエルの歴史の繰り返しとなりました。というのは、過去にも、度々同じような選択に直面したイスラエル人は、預言者をとおして、神によって命と祝福を選ぶように呼ばれても(申30,19-20)、死を選んで命を拒否し、呪いを選んで祝福を拒んだのです。

日常生活において度々私たちも、形が違っても同じような選択の前に立たされています。その時、あなたは実際に何を選ぶのでしょうか。父である神の望み通りに命と祝福を選びますか。それとも、イエスのために死刑を請求した群衆のように、死と呪いを選びますか。

全能、永遠の神よ、
あなたは人類にへりくだりを教えるために、
救い主が人となり、十字架をになうようにお定めになりました。
わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、
復活の喜びをともにすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。