受難の主日B年 (マコ11,1-10;マコ15,1-39)

「そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」マコ 11,9-10

エルサレムに入城されたイエスを王様として歓迎している群衆を見ると、イエスの活動は大成功したように見えます。その時、イエスに従った弟子たちは、イエスの仲間であることを誇りに思っていたに違いないと思います。けれども、ホサナ(私たちを救ってください)と叫んだ群衆は数日後に、「十字架に付けろ」と叫ぶようになってしまったし、殆どの弟子たちは、イエスの仲間であると認める勇気がなくて、イエスから離れてしまったのです。

恐らく群衆がイエスを王様として迎えたのは、イエスの力を知って、イエスこそが彼らの要求やいろいろな期待を満たしてくれると信じたからでしょう。けれども、イエスが民の指導者たちによって逮捕されて裁判に掛けられると、自分を守る力さえ持っていないように見えたので、同じ群衆はこの人を味方にしても、自分の利益にならないと思って、イエスより力強く見えた指導者たちの味方になり、自分たちを騙したと思ったイエスに対して、死刑を請求するようになってしまったのです。

イエスは、自分の働きが成功したように見えても、自分の使命を忘れずに、父である神に頼り続けたし、神に見捨てられたように感じて失敗したように見えても、神に信頼し続けました。結果的にイエスは、どんな状況においても、父である神の命を受けて、神によって生かされていましたし、受け入れた命を他の人に伝えて、他の人を生かすことができたわけです。

私たちは、自分の要求を中心にして生きていた群衆や弟子たちのように、絶えず変わる状況に振り回されることなく、逆に、イエスのように本当に大切なことを知り、父である神を愛することによって、どんな状況においても父である神に忠実に生き、神が定めた目的に向かって力強く生きることができるように祈りましょう。

全能、永遠の神よ、
あなたは人類にへりくだりを教えるために、
救い主が人となり、十字架をになうようにお定めになりました。
わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、
復活の喜びをともにすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。