四旬節第4主日A年  (ヨハ9,1-41)

「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。」ヨハ9,6

泥で塗られた目が盲人の状態を表しています。泥を洗い落とす水が、視力の回復を与える神の働きを表しています。イエスが生まれつき目の見えない人を癒すこと自体は、しるしです。このしるしは、洗礼を通して人間がいただく恵みを表しているのです。

生まれつき目が見えない人が、暗闇に生まれたように、すべての人々が原罪の状態に生まれることによって、霊的な暗闇に生まれてくると言えます。この霊的な暗闇とは、人間が自分の創造主であり、父である神によって愛され、生かされているにもかかわらず、神ご自身と神の愛を知らないがゆえに、神との正しくない関係に生きているということなのです。結果的に、すべての人々が神に向けて創造されても、いろいろな誘惑に陥りやすく、惑わされやすい者となっていますし、神のもとへと導く道を歩む代わりに、別の方向に向かって歩み、自分を始め、他者を傷付けたりして、心の中で求めているような生き方ができないわけです。

イエス・キリストが世の光として来られたのは、以上のような暗闇を照らす、つまり人間に父である神はどんな方であるかということを示し、また、神のもとへ導く道を示し、神との交わりを深める可能性を与えてくださる方としてであるということなのです。

盲人と同じように「洗いなさい」というイエス・キリストの言葉において暗闇から解放される希望を見だして、洗礼の水によって「汚れた」魂を洗っていただく人は、原罪から解放されますし、神の命にあずかり、神との正しい関係に入ります。けれども、洗礼は、目的ではなく、出発点なのです。目を癒していただいた人は、権力者によって迫害されても、恐れずにイエス・キリストを証しすることによって、イエスのことをますます深く知り、イエスとの関わりを深めたように、受洗者は、いろいろな困難に直面しても、洗礼の恵みに忠実に生き、キリストに従うならば、キリストとの交わりを深め、愛の絆を強めることによって、父である神との交わりを深め、愛の絆を強めて、神との完全な一致に達するのです。この一致こそ、人間にとって最高の幸福の状態であり、洗礼の目的だけではなく、人生の目的でもあるのです。

聖なる父よ、
あなたは御子の苦しみと死によって、
ゆるしの恵みをもたらしてくださいました。
キリストを信じる人々が、
信仰と愛に満たされ、
主の過越を迎えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン