主の洗礼(A年) (マタ3,13-17)

「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」マタ3,15

人類の歴史、特にイスラエル人の歴史が示している通りに、人間は、自分の力だけでは神の愛に愛を以て応えることができないのです。結果として、人間は神との一致という自分の存在の目的に達することができないわけです。 神が御ひとり子をそのような人々のところにお遣わしになったのは、彼が人間になって、つまり人間性を受け入れることによってすべての人と結ばれ、全人類の名によって、罪の暗闇の中から神の愛に愛を以て応えるためなのです。これによって神と人類との間の和解が実現されること、つまり永遠に続く新しい契約が結ばれることが、計画されていたのです。

同時にイエスが、神の愛に忠実に生きることによって、あらゆる罪を赦すことのできる神の愛、また、人間をあらゆる罪の奴隷状態から解放することのできる神の愛を、すべての人々に現すことを神は望まれましたので、イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けた瞬間は、神がイエスを罪人の手に引き渡す瞬間でもあったと言えます。

イエスにとって洗礼を受けることは、この使命を果たすために、全人類の罪の結果を受け入れなければならないということ、それから預言者イザヤが預言した通りに、罪人の手の中に苦しむ僕(しもべ)にならなければならないということを、はっきりと意識しながらこの使命を受け入れる瞬間であったとも言えるのです。この意味で水の洗礼は、血の洗礼、つまり十字架の死を先取りしているわけです。

イエスがご自分の命を掛けて成し遂げてくださった救いの業を感謝し、イエスが現わしてくださった神の愛に信頼しながら、イエスの模範と助けに支えられて、父である神から与えられた使命を果たすことによって、神の心に適う人となり、神の愛と命にあずかることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

主の洗礼C年 (ルカ3,15-16.21-22) 

「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」ルカ3,21-22

迷った羊が、自分の力だけでは羊飼いのもとにもどることができないように、罪を犯すことによって、つまり創造主である神が定めた道と違う道を歩むことによって、神から離れた人は、自分の力だけでは神のもとに戻ることができません。幸いに良い羊飼いが迷った羊を探しに出かけ、見つけてから群れに連れ戻すように、父である神は御ひとり子イエスにおいて私たちのところに来て、私たちを自分のもとに導いてくださいます。罪を犯したことのないイエスは、洗礼者ヨハネの周りに集まっていた罪人の真ん中に入って、彼らと同じ洗礼、つまり回心と償いの儀式である水の洗礼を受けることによって、このような神の救いの望みと救いのわざを現してくださるのです。

水の洗礼を受けた後に祈っていたイエスに向かって、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉を語ることによって、神は救いというのがどういうものであるかということを、私たちに教えてくださいました。創造主である神が、すべての人のために求めておられる救いというのは、皆が罪を離れて神のもとに戻り、正しく生きるということだけではなく、皆がイエスのように、神の心に適う神の子どもになるということなのです。神の子どもであることは、誰も理解も想像もできないほど偉大な神秘でありますが、言葉で表現してみれば、それは神の命と神性、神の愛と至福に参与するということになります。

聖霊による洗礼を受けて、神の子どもになった私たちは、長子であり、私たちのお兄さんであるイエスのように、父である神が示してくださる道を歩み、神の子どもらしく生きることによって、ますますイエスご自身のように神の心に適う者となりますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

12月31日 聖家族B年 (ルカ2,22-40)

「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」 ルカ2,40

神が一緒にいてくだされば、それとも神が祝福してくだされば、いろいろな問題や困難を避けることができると思う人が大勢いるようです。それが事実でしたら、どうしてマリア、ヨセフとイエス、つまり聖家族には、イエスが生まれる前にも生まれた後にも、そんなに沢山の難しい問題や困難があったのでしょうか。神は彼らと共にいなかったのでしょうか。彼らを祝福していなかったのでしょうか。

聖家族が体験していた問題や困難は、確かに彼らの苦しみになっていましたが、この家族を壊すことはできなかったし、イエスの成長を妨げることもできませんでした。いろいろな困難に直面していた家族の中で育てられたイエスは、他の人、特に困っている人や苦しんでいる人に対して、思いやりのある心を持つ完全な人になることができたのです。

私たちと共にいてくださる神が私たちを祝福してくださるというのは、私たちが歩む道に現れるすべての障害物を片付けてくださるということではなく、それを乗り越えるために必要な力を与えてくださるということであり、また、出逢う悪からさえも善を引き出してくださるということなのです。もし、私たちが、聖家族のようにいつも神を信頼して、その導きに従うならば、どんな問題や困難に直面しても、それが私たちに害を与えないだけではなく、私たちの益になるよう働くという確信を持つことができますので、いかなる問題や困難も恐れる必要はないのです。

恵み豊かな父よ、あなたは、
聖家族を模範として与えてくださいました。
わたしたちが聖家族にならい、
愛のきずなに結ばれて、
あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。