四旬節第1木曜日 (マタ7,7-12)

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」マタ7,11

私たちのために善だけを求めて、判断を間違えることもない父である神は、私たちに悪いものとか、有害なものを与えることは絶対にありませんので、私たちは安心して、何でも願うことができるのです。

私たちは、思い通りにならないことがあっても、父である神を信頼して、神との対話を忍耐強く続けることによって、私たちにとって真に価値のあるもの、本当に良いものを知ることができますように祈りましょう。そして価値のないものや、有害なものへのこだわりや執着から解放されて、最善のもの、私たちを生かすものを受け入れることができますように祈りましょう。

全能の父よ、
いつも正しいことを考え、
すすんで実行する力をお与えください。
あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
あなたの息吹によって生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1水曜日 (ルカ 11,29-32)

「南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」ルカ11,31

神の言葉であり、人間に関する神の望みと神の知恵を伝える聖書は、殆どすべての言語に翻訳されていますので、殆ど誰でも聖書を手に入れることも、それを読んで神の望みと神の知恵を知ることもできるのです。
聖書を通して私たちにご自分の言葉を与えてくださった神に感謝しながら、ますます多くの人々が聖書を読むことによって、神の言葉を知り、それを受け入れ、それに従って生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
真心からあなたに仕える民を顧みてください。
節制によってからだを支配し、
よい業の実りによって心を新たにすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1火曜日 (マタ6,7-15)

「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。』」マタ6,9-10

「主の祈り」は、神の望み、つまり、父である神が人間に与えたいと望んでおられることと同時に、人間にとって最も必要なことを現しています。この祈りを唱える目的は、神の心を変えることではなく、自分の心を神の心に合わせることなのです。

私たちは、イエス・キリストが現してくださった神の望みに従って生きることによって、人生の目的である神との一致が実現されますように祈りましょう。

全能の神よ、
世を生きるあなたの家族を顧み、
節制に努めるわたしたちのうちに、
あなたを求める心を燃え立たせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1月曜日 (マタ25,31-46)

「王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。』」マタ25,34

永遠の命とは、愛によって三位一体の神と結ばれ、この愛が完成されることによって、神と、また、救われたすべての人々と一つになることです。ですからこの命にあずかるために、やはり愛が必要なのです。したがって、自分の心に全然愛のない人は、神とも、救われた人たちとも繋がることができず、永遠に無縁の人になっても不思議なことではないのです。

ますます多くの人々が心を開いて、父である神がいろいろな仕方で与えてくださる愛を受け入れて、この愛を実践することによってそれを育てることができますように祈りましょう。

救いの源である神よ、
罪深い民をあなたに立ち帰らせてください。
キリストの教えに導かれ、
受難節の業に励むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

灰の式後の土曜日 (ルカ5,27-32)

「イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」ルカ5,27-28

イエスがご自分に従うように誰かに呼びかけるのは、この人が正しい人であるからとか、優れた人であるから、または、完全な人であるからではありません。イエスが人に呼びかける唯一の理由とは、イエスがこの人を愛しておられるということだけなのです。

私たちをご自分のもとに呼び寄せてくださったイエスに感謝しながら、私たちはレビのように愛をもってイエスの愛に応えることができますように。そして、イエスに従うことによって成長し、イエスのように神の心に適う人間になって、キリストの愛を他の人に伝えることができますように祈りましょう。

全能、永遠の神よ、
わたしたちの弱さを顧み、
あなたの力強い右の手を伸ばして
わたしたちをお守りください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1主日B年 (マコ1,12-15) 

「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」マコ1,14-15

イエスと洗礼者ヨハネが、全く同じ言葉をもってそれぞれの活動を始めました。けれども、同じ言葉を語っても、二人とも、全く異なることを述べ伝えようとしたのです。

まず、洗礼者ヨハネにとって、「神の国」というのは、神の裁きのことで、「神の国が近づいた」ということは、神の裁きの日が迫ってきたという意味でした。洗礼者ヨハネによれば、神は非常に厳しい審判を行いますので、苦しい罰を避けるために、神から裁きを受ける前に悔い改めて、良い実を結ばなければならないということでした。ヨハネはこの言葉によって人の心に恐れをもたらし、回心をさせようとしたわけです。

イエスにとって、「神の国」とは、人間の神との愛の交わりのことです。「神の国が近づいた」とは、ご自分の到来とともに、神との愛の交わりの可能性が近づいて、ご自分が成し遂げる救いのわざの結果として、この交わりがすべての人々にとって可能になるという意味でした。こうして、イエスは洗礼者ヨハネと違って恐れをもたらすことによってではなく、良い知らせを伝え、人間に希望を与えることによって回心へと呼びかけたわけです。

神ご自身がイエス・キリストにおいて、罪を犯したことによって神から離れた人々に近づき、イエス・キリストの愛と命による最高のいけにえによって私たちの罪をあがなって、全人類と和解してくださったがゆえに、人間の心の最も深い渇望が満たされることが実際に可能になったのです。ですから、神の国に入る可能性は報いではなく、神の無償の賜物なのです。しかし、この賜物を受け入れるために、私たちは神のみ旨に適わない生き方をやめて、イエス・キリストを自分の人生に受け入れることによって父である神を受け入れる必要がありますので、「神の国が近づいた」というイエスの呼びかけに励まされて、悔い改めることができますように祈りましょう。

全能の神よ、
年ごとに行なわれる受難節の典礼を通して、
わたしたちに、
キリストの死と復活の神秘を深く悟らせてください。
日々、キリストのいのちに生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

年間第6火曜日 (マコ8,14-21)

「イエスはそれに気づいて言われた。『なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。』」マコ8,17-18

イエスが5千人を五つのパンで、また、4千人を七つのパンで満たされたことを体験しても、自分たちのために一つのパンしか持っていないことを心配した弟子たちは、ファリサイ派の人々と同じように、自分の経験から何も学んでいないことを表したのです。

イエスが遣わしてくださった聖霊を受けて初めて、過去の経験を理解してイエスのことを信じ、与えられた使命を果たした弟子たちと同じように、聖霊の光に照らされて、日常の出来事の中でキリストの働きと導きを見出して、イエスをますます強く信頼して、一層忠実に従うことができますように祈りましょう。