5月10日 復活節第4水曜日 (ヨハ12,44-50)

「イエスは叫んで、こう言われた。『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。』」ヨハ12,44-46

この世界を創造してくださった神は、私たちが生きている現実を完全に超えておられる方ですので、人間はいくら頭が良くても、いくら努力しても、神のことを知ることができませんし、知らない神を愛することもできないのです。幸いにも、イエス・キリストにおいて、神はご自分自身を完全に私たちに現してくださったので、今イエスを知ることによって神を知ることができますし、イエスを愛することによって神を愛することもできるのです。

すべての人々がキリストを知ることによって、私たちの父である神を知ることができますように。そして、神の愛の偉大さとその素晴らしさに憧れて、神のもとに近づくことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたは信じる者の力、貧しい者の救い、正しい者の喜び。
あなたの約束に信頼し、
祈り求めるわたしたちを、豊かな恵みで満たしてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第19火曜日 (マタ18,1-5.10.12-14)

「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。』」マタ18,2-3

記憶が間違っていない限り、わたしが早く大人になりたかったのは、大人になったら、大人の指示に従う必要がなくなって、自分のことを自分で決めることができると思ったからです。同じように考えている人々は、大勢いらっしゃるのではないかと思います。けれども、イエスが教えているのは、神の国に入るためには、つまり最高の自分になって、最高に幸せになるためには、以上の意味で大人になるのではなく、子どもにならなければならないということなのです。恐らくイエスが仰っている、「子どもになる」というのは、神を自分の父として認めて、神の導きに従うということなのです。

ますます多くの人々が、すべての人の救いを望んでおられる神を自分の父として認め、自分勝手な望みではなく、父である神の意志を表す神の言葉に従って生きることによって、この世に真の平和が訪れて、神の国が完成されますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活節第4火曜日 (ヨハ10,22-30)

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」ヨハ10,27-30

  父である神と一体であるイエス・キリストは、人間と神との間の唯一の仲介者であります。ですから、人生の目的である神と繋がるためには、キリストと繋がること以外に何の方法もないということなのです。キリストと繋がるために、私たちに知らされた方法というのは、イエスを信じ、イエスを愛することなのです。

イエス・キリストを信じることによって、また、イエスを愛することによってイエスと繋がり、永遠の命にあずかるようになった私たちは、この恵みに忠実に生きて、多くの人をキリストのもとに導くことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
主・キリストの復活の神秘を記念し、
感謝をこめて祈ります。
わたしたちが救いの喜びを豊かに受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第18木曜日 (マタ16,13-23)

「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」マタ16,15-16

イエス・キリストは、ご自分の言葉と行い、特にご自分の死と復活によって、また、2000年の間、ご自分の教会と弟子たちを通して人類に与えた影響によって、ご自分が父である神によって遣わされたメシア、生ける神の子であり、私たちを罪とその結果である死から解放し、命と愛、また最高の幸福の源である神のもとに導くことのできる、唯一の方であるということを示してくださったのです。

ますます多くの人々が、目と耳を開き、何よりも心を開くことによって、この事実に気づき、イエス・キリストをメシア、生ける神の子として、また、自分の主として認めて、イエスに従って生きることができますように祈りましょう。

 

復活節第4月曜日A年 (ヨハ10,11-18)

「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。」ヨハ10,14-15

聖書において「誰かを知る」とは、この人と結ばれるということです。イエス・キリストは、父である神と一体になっているほど、完全な愛という絆によって神と結ばれています。それと同時に、自分の命を犠牲にするほど大きな愛、つまり、この上ない愛をもって私たちを愛しておられるのです。

ますます多くの人々が、愛をもってイエスの愛に応え、この愛に忠実に生きることによって、イエスとの交わりと父である神との交わりを、深めることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたは、倒れていた世界を、
ひとり子のへりくだりによって立ち上がらせてくださいました。
罪のきずなから解放されたわたしたちを喜びで満たし、
永遠のいのちに導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第16土曜日 (マタ13,24-30)

「イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。『天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。』」マタ13,24-25

この世において、私たちを愛し、私たちのために幸福を求めておられる神の力以外に、他の力、すなわち、私たちを利用し、害を与え、不幸にしようとする力が働いているのです。

イエスの呼びかけに応えて、私たちはいつも「目覚めて」、私たちの心に蒔かれた神の言葉に従うことによって、つまりキリストが与えてくださった教え、望み、希望に従って生きることによって、私たちを惑わそうとする教え、間違った望みや恐れを受け入れることがないように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第16火曜日 (マタ12,46-50)

「イエスはその人にお答えになった。『わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。』そして、弟子たちの方を指して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。』」マタ12,48-50

30年間も、家庭生活をされたイエスは、家族の絆を大事にしておられましたし、大事にするようにと弟子たちに教えられたのですが、イエスにとって、最も重要なのは信仰の絆でした。一つの理由として考えられるのは、家族の絆と違って信仰の絆が、死を超えて永遠に続くものであるということなのです。

聖母マリアと多くの聖人と同じように、私たちも父である神の望みに従って生きることによって、互いの絆を強めると同時に、ますます多くの人が父である神の愛を知り、この愛に生きるようになることによって、神の家族、神の民が成長していきますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
あなたを仰ぎ見る民の、心からの願いを顧みてください。
わたしたちが何をなすべきかを知り、
果たすべき使命を全うすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

復活節第3土曜日 (ヨハ6,60-69)

「シモン・ペトロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』」ヨハ6,68-69

  永遠の命についてのイエスの教えは、人間の経験、人間の知識と常識を超えているものですので、私たちがイエスの言葉を理解しないことがあっても当然でしょう。

私たちは、イエスの言葉を理解することができないときに、イエスよりも自分自身の欲求や理解力を信頼した弟子たちのように、イエスから離れたり、イエスを自分の期待や考え方に合わせたりするのではなく、ペトロと他の使徒たちのように、イエスに信頼してイエスのもとにとどまり、イエスだけが知っておられる永遠の命への道を歩み続けることができますように祈りましょう。

救いの源である神よ、
あなたは信じる人々に、
洗礼の泉によって新しいいのちを与えてくださいました。
キリストのうちに新たにされた人々が、
悪の力に負けることなく、
あなたの祝福のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月7日 復活節第4主日A年 (ヨハ10,1-10)

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」ヨハ10,3-5

イエス・キリストが私たちの羊飼いであるとは、私たちを永遠の命の泉、つまり、私たちの創造主であり、父である神のもとへと導いてくださるということなのです。羊飼いの一つの特徴は、他の動物の飼い主のように、飼っている動物を縛ったり、引っ張ったり、突き棒で突いたりせず、羊の群れの先頭に立つことです。このような羊飼いの特徴は、イエスが私たちの羊飼いであるという象徴的な言い方に、特別な意味を持たせます。それは、イエスが私たちの自由意志を尊重しておられるがゆえに、私たちを導くにあたって、私たちを強いたり無理させたりするようなことを、絶対になさらないということなのです。私たちは、従いたいときにだけ、自由にイエスに従い、また、従いたくないときには、従わないという選択も可能です。

けれども、実際にイエスに従いたいときに一つ大きな問題があります。それは何かというと、私たちの善を求めておられるイエスだけではなく、私たちの不幸を求めている人や私たちを利用しようとしている人々も、私たちに呼びかけているということなのです。このような雑音の中でイエスに従うためには、イエスの呼びかけを識別する必要があります。そして、この識別を正しくできるためには、イエスの声をよく知らなければならないのです。

どのようにすれば、イエスの声を知ることができるのでしょうか。イエス・キリストは、神の言葉です。ですから神の言葉である聖書を読むこと、聖書の言葉に耳を傾けることによって、イエスの声を知ることができるはずです。けれども、聖書を読んでも、間違った解釈に基づいて、間違った結論を出す危険性、つまり、聖書の作者である聖霊の意向と同時に、聖霊と一致しておられるイエスの意向に、逆らうような結論を出す恐れがあります。その場合は、イエスの声を知っていると思い込んで、イエスの声に聞き従うつもりであっても、実際には強盗に従う危険性があるのです。

このような危険性を避けるために、聖書を読むときには、聖霊によって生かされているイエスの体である、教会の正式的な教えを基準にする必要があります。もし自分の結論が、教会の教えに反するようなものであるならば、間違っているのは教会ではなく、自分自身であるということを素直に認めて、自分の結論を手放さなければなりません。このような意味での謙虚な心を持って聖書を読むときだけ、イエス・キリストの真の声を知り、日常生活においてそれを識別し、安心して従うことができるのです。

全能永遠の神よ、よい牧者キリストは、
わたしたちのためにいのちをささげてくださいました。
キリストの声に従うわたしたちがあなたの国に導かれ、
聖人とともに喜びを分かつことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活節第3金曜日 (ヨハ6,52-59)

「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。』」ヨハ6,53

体と霊魂の結合である人間の体は、霊魂の実質(肉体)面の表れでありますので、人間らしい、つまり人間を本当に生かすような肉体的な交わりとは、ただ肉体のレベルに留まるものではなく、霊魂の交わりにもなっているときだけなのです。

キリストの体であるご聖体を受けている私たちが、キリストの体と共にキリストの霊を受け入れつつ、自分自身の体と霊魂をキリストにささげることによって、聖体拝領は私たちを生かすものとなり、キリストとの絆を強め、愛である神との完全な一致を実現させるものとなりますように祈りましょう。

信じる者の力である神よ、
御子イエズスの復活をともに喜ぶわたしたちが、
聖霊の愛に強められ、
新しいいのちの道を歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。