復活節第5月曜日 (ヨハ14,21-26)

 「イエスはこう答えて言われた。『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。』」ヨハ14,23

  イエスは、ご自分の行い、ご自分の教えや私たちに与えてくださった掟によって、ご自分の望み、ご自分の心を表してくださいました。私たちは、愛によってイエスとより深く結ばれれば結ばれるほど、自分の望みをイエスの望みに合わせ、自分の心をイエスの心に合わせますので、少しずつ、イエスのように考え、イエスのように望み、イエスのように生きるようになるのです。

私たちは、イエスの教えとイエスが与えてくださった掟を道しるべとして受け入れ、それに従って生きることによって、イエスとますます深く結ばれ、ますますイエスのようになり、イエスの愛を現し、神ご自身の愛の交わりへの招きを、他の多くの人々に伝えることができますように祈りましょう。

永遠の父よ、
約束された聖霊を待ち望むわたしたちの祈りを聞き入れてください。
移り変わる世界の中にあって、
わたしたちが心を一つにして愛のおきてを守り、
いつもまことの喜びに生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第23木曜日 (ルカ6,27-38)

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」ルカ6,27

私たちが、私たちに対して悪を行った人に悪を返すならば、悪が増えるでしょう。もし、この世から悪をなくしたい、せめて、この世にある悪を減らしたいならば、善人に対しても悪人に対しても、いつも善を行うしかないのではないでしょうか。

あらゆる悪よりも力強いイエスの愛に強められて、また、誰よりも、悪と力強く戦ったイエス・キリストに倣い、誰に対しても善を行うことによって決定的に悪に打ち勝ったイエスの協力者になり、その勝利にあずかることができるように祈りましょう。

希望する者の力である神よ、
聖ヨハネ・クリソストモは、
すぐれた説教者、勇気ある牧者として
教会に光をもたらしました。
わたしたちも聖人の教えに学び、
その不屈の忍耐にならうことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第22金曜日 (ルカ5,33-39)

「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」ルカ5,33

洗礼者ヨハネの弟子たちも、ファリサイ派の弟子たちも、神の祝福を受け入れるために掟を守ったり、いろいろな修業をしたりしたというのは、神のいつくしみではなく、自分たちの行い、自分たちの努力に頼っていたからです。

私たちが罪人であったときに私たちを愛し、私たちを救うためにこの世に御ひとり子を遣わしてくださった、いつくしみ深い父である神の愛を頼りにして、喜びのときも、苦しみのときもイエス・キリストと共に生き、お祝いや楽しい食事会をとおしても、断食や他の犠牲をとおしてもイエスとの交わりを深め、無償の祝福を受け入れることができますように祈りましょう。

万物を治められる神よ、
世界の歩みを力強く導いてください。
現代に生きる教会が人々に仕え、
平和のために尽くすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

復活節第4土曜日 (ヨハ14,7-14)

 「イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、「わたしたちに御父をお示しください」と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。』」ヨハ14,9-11

  イエスは、ご自身が仰っているように、父である神と一体となっていますので、イエスを見ることは神を見ること、イエスの言葉を聞くのは神の言葉を聞くこと、イエスを知ること、つまりイエスと繋がることは、神ご自身と繋がることになるわけです。

私たちは、イエスの言葉に聞き従い、イエスと共に生きることによって、イエスとの絆をますます強めることができますように祈りながら、私たちの言葉と行いをとおして、イエスの愛、イエスご自身をますます正確に現すことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
御子イエズスの死と復活の恵みを
わたしたちのうちに実らせてください。
洗礼によって新たに生まれたわたしたちが、
生活の中で信仰のあかしを立て、
永遠の喜びを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第23水曜日 (ルカ6,20-26)

「イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。・・・しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。』」ルカ6,20. 24

多くの人の考えに逆らって、イエスが教えてくださる通りに、人間が自然に避けようとするいろいろな苦しみは幸福への道になり得るし、人間が自然に求めているいろいろな喜びや楽しみは、幸福を妨げるものになり得るのです。従って、苦しみは、幸福を不可能にする意味での絶対的な悪ではないので、どうしても避けるべきものでもないし、喜びや楽しみは、幸福への唯一の道という意味での絶対的な善でもないので、どうしても追求しなければならないようなものではないのです。

私たちは、自分の思いや望みではなく、最高の幸福の唯一の源であり、その与え主である神の望みに従って生きることによって、神との交わりを深めることができるように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月14日 復活節第5主日A年 (ヨハ14,1-12)

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」ヨハ14,1

おそらく、私たちは自分の心の奥深いところを正直に見つめることができるならば、そこにはいろいろな恐れ、不安、悩み、わずらいなどのようなものを見出すのではないかと思います。その内には、私たちが過去に行った悪や、現在の私たちの悪いところがもたらす恐れや悩みがあり、また、未来に体験するかもしれない損害、病気や他の苦しみ、あるいは、必ず訪れてくる死に対する不安やわずらいもあるはずです。

そのような恐れ、不安、悩みやわずらいは、大きな苦しみですので、それを無くしたいと望むこと、また、実際にそれを無くするためにいろいろと試みるのは、当然です。けれども、その試みが一時的に成功したとしても、この恐れ、不安、悩み、わずらいは、必ず舞い戻ってくるだけではなく、大きくなることさえもあるのではないでしょうか。

そんな現実に生きている私たちのところにイエス・キリストが来て、「心を騒がせるな」と呼びかけて、私たちをこのような苦しみから解放することを約束してくださいます。そして、この約束を実現するために、イエスは私たちにご自分の愛を与えてくださるのです。

イエスは、誰よりも私たちが過去に行った悪や現在の私たちの悪いところ、それから、未来に行う悪を知っておられるにも関わらず、誰よりも私たちを強く愛しています。私たちのためにご自分の命を与えるほど愛しています。イエスの復活を思い出すと、イエスの愛は、私たちの罪、私たちの中にある悪よりも強いものであるだけではなく、死よりも強いものであるということも分かります。ですから、イエスの愛を受け入れ、それを自分の最も大切な宝物にするならば、私たちは、あらゆる恐れ、不安、悩み、わずらいから解放されます。そして、イエスご自身と同じように、自分の心の最も深い望みに従って、愛に生きることができるようになるのです。

聖なる父よ、
あなたは、キリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、
御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第21火曜日 (マタ23,23-26)

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」マタ23,25

内面的な次元と外面的な次元が一致していない人間は、苦しんでいて不幸です。律法学者たちやファリサイ派の人は、自分の人生の外側がきれいになるように一生懸命に努力していましたが、内側のこと、つまり心のことをまったく無視していましたので、不幸であったわけです。

私たちは、いつも御言葉に耳を傾け、御言葉に従って生きることによって、自分の思い、言葉と行いを正すことができますように。そして、イエス・キリストとの交わりを深めることによって、清められ、キリストと同じ心を持つことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
聖アウグスチヌスの精神を
現代の教会によみがえらせてください。
英知の泉、愛の源を求めるわたしたちが、
あなたのうちにいこいを見いだすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活節第4金曜日 (ヨハ14,1-6)

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」ヨハ14,1-3

恐れ、不安、わずらいなどのような、心の苦しみの一つの大きな原因というのは、未来がどうなるかということを知らないことであると思います。けれども、私たちは自分の人生を、信仰と愛によってイエス・キリストと結ぶならば、イエスの未来が私たちの未来になるので、自分の未来を知ることができますし、恐れや不安のような心の苦しみから解放されるのです。

私たちは、ますます深くイエスを信じ、ますます強くイエスを愛することによって、あらゆる心配、わずらいや恐れから完全に解放されて、イエスと同じように愛に生きることができますように祈りましょう。

救いと自由の源である神よ、
わたしたちの祈りに耳を傾けてください。
御子のとうとい血によってあがなわれたわたしたちが、
救いの恵みのうちに生き、
永遠の喜びを見いだすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

復活節第4木曜日 (ヨハ13,16-20)

「『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。」ヨハ13,18-19

  この世においてイスカリオテのユダの裏切りや、イエスの受難と死のように、神の望みに逆らうものは沢山ありますが、それらを含めて神が予想することのできないことや、善に変えることのできないようなものは一つもないのです。

私たちは、世界の歴史においても、自分自身の人生においても、神の働きとその素晴らしい結果を見出すことによって、ますます力強く神を信頼し、自分のすべてを神にゆだねて、神の導きに従うことができますように祈りましょう。

いのちの源である父よ、
あなたは救いの神秘によって人を高め、
神の子どもとしてくださいました。
洗礼によって新たに生まれた人々を、
あなたの恵みと祝福のうちに守ってください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第20木曜日 (マタ22,1-14)

「『町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」マタ22,9

神が人間を創造してくださったのは、ご自分の命と愛、と同時にご自分の喜びと幸福を、人間と分かち合うためなのです。人間は、神の言葉を無視して、幸福を自分の手に入れようとした結果、神から離れて、神の愛にあずかることができなくなりました。けれども、イエス・キリストの救いのわざによって、神の愛と神の至福にあずかることが再び可能になったのです。今キリストはご自分の弟子たちをとおして、すべての人々を神が準備してくださった「婚宴」に参加するように、つまり神の命と愛、また喜びと平和にあずかるように招くわけです。

キリストの招きを受け入れた私たちは、既に頂いた愛と喜びに忠実に生きることによって、キリストの招きをより多くの人に伝え、神の愛と喜びにあずかる人々がますます増えますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたのゆるしは限りなく、
そのあわれみはすべてに及びます。
あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、
水遠の喜びを与えてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。