7月30日 年間第17主日A年 (マタ13,44-52)

「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」マタ13,46

最高の幸福のためにどうしても必要だと思われるものは、そう思う人にとって最も価値の高い宝物になります。人によって、それは物質的な富や健康であったり、仕事や娯楽であったり、学歴、社会的な地位や権力であったり、また、他人に認められることや多くの友人がいることであったりします。

しかし、人間の最高の幸福のために何よりも必要なのは、神の国、すなわち、神との愛の交わりであるということを、宝と真珠についてのたとえによってイエスが教えています。

たとえに登場する、宝が隠されている畑を見つけた人と商人が、見つけた宝や真珠を手に入れるために、自分の持ち物を売ったように、神の国に入るために、言い換えれば、神との愛の交わりに生きるために、今まで自分の宝と思われたものを手放し、それの束縛から自由になる必要があるのです。

今までの生き方への執着が強ければ強いほど、その生活の中心になっていたもの、頼りにして来た物を手放すのは、難しいことです。それができるために、聖パウロと同じように、キリストの愛の素晴らしさと、「万事が益となるように共に働く」(ロマ8,28)神の力の偉大さを知るようになることによって、今まで自分の宝になっていたものを、現実的に見直す必要があります。要するに、この宝と思い込んでいたものは、今まで非常に役に立っても、思ったほど価値がないこと、思ったほど力がないこと、それなりに良い物であっても、ないよりはあった方がいいようなものであっても、自分の幸福のためにどうしても必要なわけではないこと、場合によって真の幸福を妨げるものであることを、認める必要があるのです。

信じる人の希望である神よ、
あなたを離れてはすべてがむなしく、
価値あるものはありません。
いつくしみを豊かに注ぎ、
わたしたちを導いてください。
過ぎ行くものを正しく用い、
永遠のものに心を向けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第16金曜日 (マタ13,18-23)

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」マタ13,23

御言葉に忠実に生き、最も豊かな実を結んだ聖母マリアは、神の言葉の意味を理解しなかったこともありましたので、「御言葉を聞いて悟る」こととは、イエスが語った言葉の意味を完全に理解するということではないのです。それは、マリアのように御言葉を自分の人生の中に受け入れ、理解したことを実行するように努力しながら、理解のできなかった神の言葉の働きをも承諾するということなのです。

神の言葉こそ、私たちを生かし、永遠の命に導くものであることを認め、全力を尽くして、御言葉に従い、協力することができますように祈りましょう。

 

年間第16木曜日 (マタ13,10-17)

「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」マタ13,16

イエスのたとえ話をただの作り話や面白い話として聞く人々は、それを少しは楽しむことができるかもしれませんが、この人たちの人生において、何の変化も起こらないでしょう。けれども、イエスを信頼して、イエスのたとえにおいて、導きを探し求める人たちは、必ず神聖な英知と完全な癒しへの道を見出すのです。

ますます多くの人々が、耳だけではなく心も開いて、イエスのたとえの中で見出した導きに従うことによって、いろいろな重荷から解放され、完全に癒されますように祈りましょう。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、
暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、
信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月26日 年間第16水曜日 (マタ13,1-9)

「ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」マタ13,8

イエス・キリストが、気前よく神の言葉、命の言葉を宣べ伝えておられるにもかかわらず、その言葉に耳を傾けず、それを受け入れないがゆえに、人生の意義やその目的、正しい生き方を知らずに、暗闇をさまよっている人々、苦しんでいる人々が大勢いるようです。

御言葉を受け入れた私たちは、それに忠実に従うことによって、この言葉がどんなに確かなもので、どんなに素晴らしいものであるかを表し、多くの人々を御言葉を受け入れるように励まし、力付け、勇気付けることができますように祈りましょう。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、
暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、
信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月25日 聖ヤコブ使徒 (マタ20,20-28)

「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」マタ 20,27-28

今日、私たちが祝う聖ヤコブは、主イエスに倣って命をささげることによって、復活したイエスを証しし、自分の使命を全うすることができたように、私たちも与えられた使命を果たすことによって、自分自身を父である神にささげることができますように、聖ヤコブの取り次ぎによって祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたは聖ヤコブの殉教を使徒の初穂として
受け入れてくださいました。
聖人の信仰に力づけられ、
その取り次ぎを願う教会が
まことのあかしを立てることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第16月曜日 (マタ12,38-42)

「すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、『先生、しるしを見せてください』と言った。イエスはお答えになった。『よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』」マタ12,38-39

イエスは、非常に多くのしるしを行い、ご自分が神から遣わされたメシアであるということをはっきりと示したにもかかわらず、頑なな心を持っていた律法学者とファリサイ派の人々には、これらのしるしでは十分ではありませんでした。彼らは、しるしというよりも、むしろ信仰を必要としない、証拠を求めていたので、イエスはその要求に応じませんでした。

神は、必ず私たちが必要な働きをされるし、十分なしるしを与えてくださいますので、私たちが神を信頼して心を開き、これらの働きやしるしを受け入れることができますように。そして、神の導きに従って生きることによって、ますます深く父である神の素晴らしい愛を知り、与えられた使命を一層力強く果たすことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

7月22日 聖マリア(マグダラ) (ヨハ20,1-2,11-18)

「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」ヨハ20,18

今日記念するマグダラの聖マリアは、イエスと出会い、イエスを愛するようになったことによって、罪から解放され、復活なさった主の最初の証人になる恵みを受けたのです。

マグダラの聖マリアの模範と取り次ぎの祈りによって支えられて、私たちもますます深くイエスを愛することによって、ますます自由になって、生きておられる主イエスをますます力強く証しすることができますように祈りましょう。

わたしたちの父である神よ、
マグダラの聖マリアは、
復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
聖女の祈りと模範に支えられて、
わたしたちも復活されたキリストを宣べ伝え、
その栄光を仰ぎ見ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月23日 年間第16主日A年  (マタ13,24-43)

「僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。」マタ13,27-28

私たちは、毎日のように苦しみや悪を体験しています。この世に悪が存在しているがゆえに、神は良い方であると信じることのできない人や、神の存在そのものを否定している人がいるようです。神を信じるためだけではなく、神を愛することができるためにも、悪の由来、また、神と悪の関係を知る必要があると思います。

「毒麦」のたとえを通してイエスが教えてくださるとおり、そもそも創造主である神が、悪を創ってはおられないし、悪の存在を求めてもおられないのです。けれども、麦を育てるために畑を作った人は、毒麦にも生える可能性を与えたように、神は、人間に最高の善を与えるためにこの世界を創造されたことによって、悪が存在することをも可能にされたのです。

神が世界を創造してくださった最終的な目的というのは、人間が愛によって神と結ばれて、神の命にあずかり、永遠に神と愛の交わりの内に生きることです。人間は愛することができるために、神から自由意志を頂きました。しかし、自由意志は人間に愛する可能性を与えるだけではなく、悪を行う可能性をも与えています。残念ながら人間は、「敵」に騙されて、神に背いてから、この世に悪が生まれ、この世に苦しみと死が入り込んだのです。

神が人間から自由意志を奪い取れば、確かに、人間は悪を行うことができなくなりますが、同時に愛することもできなくなるのです。結果的に、最終的な目的に達することができず、永遠に不幸になりますので、自由意志と共に愛する可能性を失うことは、人間にとって最悪であると言えます。

人間が自由意志という賜物の本来の目的に逆らって、悪を行っても、神はこの人を諦めませんし、愛し続けています。神はご自分の愛を示すことによって、この人の心の中でご自分に対する愛を起こそうとし、ご自分との一致へと忍耐強く導いてくだるのです。

恵み豊かな神よ、

あなたを仰ぎ見る民に、
聖霊を惜しみなくお与えください。
信仰、希望、愛に燃えて、
いつもあなたのことばに従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第15金曜日 (マタ12,1-8)

「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。」マタ12,8

昔も、残念ながら現在でも、宗教、または、神の名によって、人が他の人に害を与えることがありますが、そのように振る舞う人たちは、神のことをまったく知らないのだということがわかります。なぜなら、イエス・キリストが教えてくださったとおりに、人間の創造主である神は、すべての人々を愛し、一人ひとりのために善のみを求め、すべての人が神を愛するだけではなく、互いに愛し合うことをも、求めておられるからです。

神の名を悪用して、他の人に害を与えている人たちは、回心して、何かの組織や思想のためではなく、神の望みに従って、他の人のために生きるようになって、必要に応じて人を生かし高めるために、他の人の命を犠牲にするのではなく、イエス・キリストのように自分自身の命をささげることができますように祈りましょう。

 

年間第15木曜日 (マタ11,28-30)

「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタ11,29-30

   人間は、いくら大きな力を持っても、自力では幸せにならないので、自分の力によって幸せを手に入れようとする努力は、目指す結果が得られる可能性のないような労苦と同じように、空しいし辛いし、恐れや不安をもたらします。逆に、愛している人の善のための労苦は、実際に辛くても、それほど辛く感じていないし、喜びと平安をもたらすようなものなのです。

私たちは、真の平和と安らぎ、永遠に続く幸福を与えることのできる唯一の方であるイエス・キリストに、すべてをゆだねることによって、安心して生き、キリストの愛の力によって強められて、与えられた使命を果たし、より多くの人を支え、生かすことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。