年間第17土曜日(マタ14,1-12)

「ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。」マタ14,3-5

神の言葉は真の命への道、永遠の幸せへの道を示すものであるから、それを聞く皆が、感謝と喜びのうちにそれを受け入れるはずです。それにもかかわらず、洗礼者ヨハネの場合、また、イエスご自身の場合にもそうであったように、実際に、神の言葉を聞く多くの人々は、神の言葉によって生かされているのではなく、攻撃されているように感じるようです。そして、自分の破滅に至るものであっても、慣れている自分たちの生き方を守るために、神の言葉を聞かないように、またそれを宣べ伝える人の口を止めるように、自分たちにできることを何でもしようとするのです。

神の言葉を宣べ伝える使命を与えられている私たちは、無視されても反対されても、この使命を全うすることができますように、神に対する信頼と忍耐や勇気の恵みを祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月6日 主の変容A年 (マタ17,1-9)

「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた。」マタ17,5

神の愛する子であり、神の心に適う者であるイエス・キリストは、完全で、最も魅力的な人間なのです。ですから、イエスの本当の姿を見る人は、必ずイエスに憧れて、イエスを愛するようになり、いつまでもイエスと一緒にいたいと望むようになると言っても言い過ぎではないのです。

ますます多くの人がイエスを知り、イエスを愛するようになるために、すでにイエスを愛している私たちは、イエスと共に生き、イエスに忠実に従いながら、少しずつイエスのようになり、イエスの素晴らしさを示すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
御子キリストは栄光の姿のうちに現れ、
聖書のことばを通して、弟子たちに救いの神秘を説き、
神の子どもとなるすばらしさを示されました。
御ひとり子の声に従うわたしたちが、
キリストとともにあなたの国を継ぐものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第17金曜日 (マタ13,54-58)

「(イエスは)故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。『この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。』」マタ13,54-55

人間というものは神秘的な存在ですので、私たちは他の人を知り尽くすことができないだけではなく、自分自身を知り尽くすこともできません。ですから、ナザレの人たちがイエスについて何でも知っていると思い込んだように、誰かを完全に知っていると思い込むならば、この人に対して自分の心を閉ざしますし、その人との関係も死んだものになるのです。

私たちの他の人々との関係、特にイエス・キリストとの関係が、絶えず深まりますように、いつも開かれた心を持つこと、つまり、相手についての新しく表された真理を受け入れ、この人について自分の考え方を変えることができますように祈りましょう。

 

 

年間第17木曜日 (マタ13,47-53)

「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。」マタ13,47

湖に投げ降ろされた網にいろいろな魚が入るように、イエス・キリストが集めてくださった教会にもいろいろな人、言語、文化や習慣の異なる人だけではなく、考え方、性格、ライフスタイルや精神状態の異なる人も入っています。

私たちは、主イエスのように広い心を持って、同じ共同体のメンバーを良いものや悪いものに分けたり、気が合う人だけと接したりすることなく、あらゆる人と交わり協力することによって、共に成長し、イエスが求めておられるような共同体になり、一人ひとりが、イエスが求めておられるように生きることができますように祈りましょう。

すべてを治められる父よ、
み旨にしたがって生きる人に、
あなたは神の国の喜びを備えてくださいます。
あなたからいただくすべてのものが、
救いのみわざの完成に役立つものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第17水曜日 (マタ13,44-46)

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」マタ13,44

人間は不思議な存在です。何かをまたは誰かを自分の宝として認めて、自分を生かすためにこの宝を利用しようとするならば、この宝の奴隷になり、滅ぼされることもあります。けれども、自らこの宝に仕えるならば、生かされて、幸せに生きることができるのです。

私たちは、私たちの最高の宝である主イエスに仕え、すべてをささげることによって、私たちの心の中にある愛が完成され、私たちが永遠に生かされますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたを愛する心をお与えください。
復活の信仰に生きるわたしたちが、人々の中で、
絶えずそのあかしを立てることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第17火曜日 (マタ13,36-43)

「イエスはお答えになった。『良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。』」マタ13,37-39

信仰と愛によってイエス・キリストと結ばれた私たちは、「御国の子ら」として世界に遣わされています。

すべてのキリスト者は、日常生活において神の言葉に忠実に従い、与えられた使命を果たすことによって、より多くの人がキリストのもとに近づき、愛に生きるようになり、最終的に永遠の苦しみから救われますように祈りましょう。

 

年間第17月曜日 (マタ13,31-35)

「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『わたしは口を開いてたとえを用い、/天地創造の時から隠されていたことを告げる。』」マタ13,34-35

私たちが体験している現実と、イエス・キリストが現してくださる神の現実とは全く異なっていますので、イエスの教えに基づく神についての私たちの考えや想像を神ご自身と比較すれば、私たちの考えや想像は陰に等しいものになります。しかし、私たちの神についての考えや想像が、取るに足りないものであっても、それに私たちの心の中で神に対する愛を起こし、神を求めさせる力があるならば、陰ではない神の現実そのものは、どれほど素晴らしいことなのでしょうか。

私たちの神についての考えや想像は、いくら素晴らしいものであっても、神そのものではないことをはっきりと意識して、それに執着することなく、私たちの理解力も想像力も超える、無限の神に向かって歩むことができますように祈りましょう。

 

7月29日 聖マルタ (ルカ10,38-42)

「主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」ルカ10,41

主イエスのためにする働きは、主の望みにかなうときだけ、本当に価値のあるものなのです。なぜなら、このような働きだけが、この人を主イエスと結び付ける絆を強め、主との一致に導くものであるからです。

私たちの働きが、いつも祈りの結果、主の言葉を受け入れる結果でありますように、聖マルタの取り次ぎによって祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたのひとり子は聖マルタの家を訪れ、
もてなしをお受けになりました。
聖女の取り次ぎを願うわたしたちも、
人々の中におられるキリストに仕え、
永遠の国に入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月30日 年間第17主日A年 (マタ13,44-52)

「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」マタ13,46

最高の幸福のためにどうしても必要だと思われるものは、そう思う人にとって最も価値の高い宝物になります。人によって、それは物質的な富や健康であったり、仕事や娯楽であったり、学歴、社会的な地位や権力であったり、また、他人に認められることや多くの友人がいることであったりします。

しかし、人間の最高の幸福のために何よりも必要なのは、神の国、すなわち、神との愛の交わりであるということを、宝と真珠についてのたとえによってイエスが教えています。

たとえに登場する、宝が隠されている畑を見つけた人と商人が、見つけた宝や真珠を手に入れるために、自分の持ち物を売ったように、神の国に入るために、言い換えれば、神との愛の交わりに生きるために、今まで自分の宝と思われたものを手放し、それの束縛から自由になる必要があるのです。

今までの生き方への執着が強ければ強いほど、その生活の中心になっていたもの、頼りにして来た物を手放すのは、難しいことです。それができるために、聖パウロと同じように、キリストの愛の素晴らしさと、「万事が益となるように共に働く」(ロマ8,28)神の力の偉大さを知るようになることによって、今まで自分の宝になっていたものを、現実的に見直す必要があります。要するに、この宝と思い込んでいたものは、今まで非常に役に立っても、思ったほど価値がないこと、思ったほど力がないこと、それなりに良い物であっても、ないよりはあった方がいいようなものであっても、自分の幸福のためにどうしても必要なわけではないこと、場合によって真の幸福を妨げるものであることを、認める必要があるのです。

信じる人の希望である神よ、
あなたを離れてはすべてがむなしく、
価値あるものはありません。
いつくしみを豊かに注ぎ、
わたしたちを導いてください。
過ぎ行くものを正しく用い、
永遠のものに心を向けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第16金曜日 (マタ13,18-23)

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」マタ13,23

御言葉に忠実に生き、最も豊かな実を結んだ聖母マリアは、神の言葉の意味を理解しなかったこともありましたので、「御言葉を聞いて悟る」こととは、イエスが語った言葉の意味を完全に理解するということではないのです。それは、マリアのように御言葉を自分の人生の中に受け入れ、理解したことを実行するように努力しながら、理解のできなかった神の言葉の働きをも承諾するということなのです。

神の言葉こそ、私たちを生かし、永遠の命に導くものであることを認め、全力を尽くして、御言葉に従い、協力することができますように祈りましょう。