年間第14主日C年 (ルカ10,1-9)

「主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」ルカ10,1

父である神は、すべての人々を愛しておられるがゆえに、すべての人の救い、すなわち、すべての人々が愛をもって神の愛に応えて、神との愛の交わりの内に永遠に生きることを、求めておられます。この望みを実現するために、御ひとり子をこの世に遣わしてくださいましたが、その前に、ご自分のわざと預言者たちの活動を通して、救い主の到来を準備してくださったのです。

イエス・キリストは、このような神の働きに倣って、ご自分が行く予定のところに、ご自分の弟子を遣わして、救い主と出会うために最終的な準備をさせました。その際、イエスは弟子たちの働きの主な内容を教えてくださいました。それは、遣わされた先の人々のために平和を願うこと、その所の病人を癒すこと、「神の国が近づいた」と宣べ伝えることでした。

真の平和とは、すべての人々が心の奥深いところで求めている完全な幸福ですので、人のために平和を願うとは、実際にこの人のために最高の幸福を求めることなのです。病人を癒すことは、隣人への愛の実践の一つの例です。そして、「神の国」つまり「神の支配」を受け入れることは、神の愛の交わりへの招きを受け入れることです。

人間は、神や他の人との正しい関係に生きるとき、つまり神や他の人と愛の絆によって結ばれているときだけ、真の幸せを味わうことができますので、「病人を癒す」ことと、「神の国を宣べ伝える」ことは、真の平和への道を示すことであり、真の平和を実現することなのです。

確かに、神と隣人への愛に生きることは、時に、難しいか、時に、まったく不可能に見えることもあるでしょうが、イエス・キリストがご自分の死と復活によって、神と隣人への愛に生きることだけではなく、敵に対する愛に生きることさえ可能にしてくださったのです。

洗礼を受けて、イエスの弟子となった私たちも、七十二人の弟子と同じように、すべての人々のために平和を願って、愛に生きることによってそれを実現するように呼ばれています。私たちはイエス・キリストが与えてくださる愛の力によってこの使命を果たしながら、イエスとの交わりを深めることができますように。そして、愛に生き、平和を実現する人々がますます増えますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたは、倒れていた世界を、
キリストの死によって
新しいいのちに立ち直らせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、
終わりのない喜びにあずからせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

 

年間第13主日C年 (ルカ9,51-62)

「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」ルカ9,51

人類の歴史を見ると、殆どの権力者は、手に入れた権力を弱い人や完全に無力な人々の利益のために用いるのではなく、自分自身や自分の仲間の利益のために用いているということが分かります。また、何らかの悪事を行ったためではなく、権力者に逆らったために罰せられることも、珍しくないでしょう。

以上の経験に基づいて、多くの人は、最高の支配者、最高の権力者である神が、この地上の多くの支配者や権力者と同じように振る舞っておられると、思い込んでいるようです。イエスを歓迎しなかったサマリア人を滅ぼし、復讐しようとしていたイエスの弟子たちも、きっと、このように考えていたと思います。

天から来られた方として、神のことを完全に知っておられたイエスは、多くの人々が想像している神とまったく異なる神を、ご自分の言葉と行いによって現してくださいました。弟子たちに、復讐を禁じることによってイエスが教えてくださったのは、神がご自分に逆らう人々に対して、絶対に罰を与えないし、復讐もしないということなのです。そして、「エルサレムに向かう決意を固められた」ことによって、イエスは神についてさらに素晴らしいことを現してくださいます。

イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持って、ご自分を殺そうとしていた権力者が大勢いるエルサレムに敢えて行かれたのは、この人たちを滅ぼすためではなく、この人たちにも神の愛を現し、回心へと呼びかけ、神との愛の交わりに招くためなのです。確かにイエスは、権力者たちがご自分の証しを受け入れないこと、ご自分の呼びかけと招きに応える代わりに、ご自分を殺してしまうことを知っておられました。それにもかかわらず、エルサレムに行くことにされたのは、苦しみを避けたい、また、ご自分の命を守りたいというような望みよりも、彼らにも神の愛を現したい、彼らを神のもとに導きたいという望みの方が強かったからです。その意味で、エルサレムに行くことは、ご自分に対して敵意を持っていた人に対する真の愛の表現であったとともに、すべての人々に対する神の愛を現す行動でもあったのです。

神の意志に逆らって罪を犯した人間や、大きな悪事を働いて、他の人と神ご自身を傷付けた人さえも愛し続けて、この人の救いを求め、いつも和解と愛の交わりへと招いておられる神に信頼して、神の招きに応える人がますます増え、神の国が発展していきますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月(金) イエスのみ心の祭日C年 (ルカ15,3-7)

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」ルカ15,7

イエスのみ心の祭日を祝う私たちは、私たちと同じように有限の存在であったイエス・キリストが、人間の心で愛することによって、無限の存在である神の愛を現してくださったことを思い起こし、感謝します。

私たちは、イエス・キリストをますます深く知ることによって、父である神の愛を知ることができますように。そしてこの愛をますます豊かに受け入れ、イエスと同じように神の愛に生きることによって、この愛をまだ知らない人に示すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、あなたは、
人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、
限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。
わたしたちが、
心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

キリストの聖体C年 (ルカ9,11b-17)

「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。」1コリ11,23-24

イエス・キリストは十字架に付けられる前の夜に行われた食事のとき、パンとぶどう酒の杯を取り、感謝の祈りをささげてから弟子に与えて、「これは、あなたがたのために渡されるわたしの体である。これは、わたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい」と言われました。これによって主イエスは、ご自分をささげられたと同時に、ご自分の受難と死を予告され、その意義を説明されました。その時以来、キリストの教会は主イエスの言葉に従って、救いをもたらしたキリストの死と復活を想い起こしながら、最後の晩餐の式を繰り返し、キリストの愛の奉献を記念することによって、それを再現しています。

信者はミサ聖祭の間に、神の言葉である聖書の朗読を聴き、この2000年前と同じ食卓にあずかり、キリストご自身の体であるご聖体を拝領します。こうして、キリストの死と復活の記念であるこの祭儀に参加することによって、私たちを最後まで愛し、私たちのためにご自分の命をささげてくださった主イエスに心を合わせ、愛の交わりを持ちます。

ミサ聖祭を祝うことによって、私たちは、神が与えてくださったすべての賜物、とくに創造、あがない(救いのわざ)、聖化に感謝します。それで、ミサは、「感謝の祭儀」とも呼ばれています。

ミサに参加することによって私たちは、神に感謝と賛美をささげ、キリストと共に自分自身を奉献して、神との完全な一致を目指します。そのために、ミサ聖祭は神に対する真の愛の実践でもあるのです。

恵み豊かな父よ、御子キリストは、
その死を記念するとうとい秘跡を教会に残してくださいました。
主のからだを受け、救いの力にあずかるわたしたちが、
主の死を告げ知らせることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

三位一体の主日C年 (ヨハ16,12-15)

「(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」ヨハ16,14-15

神の内面的な命を現す三位一体の神秘は、人間による考察の結論ではなく、神ご自身がご自分を啓示することによって、人間に知らせたことなのです。

元々イスラエル人たちは、他の民族と同じように沢山の神々を信じていました。けれども、この民の歴史の中で特別な働きをされた神は、ご自分が唯一の神、全世界の創造主、つまり、あらゆる存在と命の源である父であることを知らせてくださいました。この世に来られた御ひとり子を通して神は、無条件に、また無限に私たちを愛しておられる救い主として、ご自分を現してくださいました。私たちを最後まで愛し、ご自分の命をささげることによって、ご自分の使命を果たして、御父のもとに戻られた御子は、御父の霊であり、また、ご自分の霊である聖霊を遣わしてくださいました。現在、聖霊は教会の中で、また、教会を通して働いて、イエス・キリストが成し遂げられた救いのわざを完成に導く方として、ご自分を現してくださっています。このように、救いの歴史の中で、神は、ご自分自身を唯一の神として、と同時に、御父と御子と聖霊という三つのお方(ペルソナ)として、啓示してくださったわけです。

三つの別々のペルソナが唯一の神であることは、確かに非常に大きな神秘であって、私たちの理解を超えるものですが、この神秘から少なくとも次のようなことが分かると思います。つまり、神は唯一の存在でありますが、孤独な存在ではないこと、また、ご自分のためにだけ生きておられるのではなく、他者のために、他のペルソナのために生きておられる方であるということなどです。聖ヨハネが書き記した通りに(1ヨハ4,16)、神は愛です。つまり神は、私たちを愛しておられる方であるのみならず、愛そのものなのです。ですから、三位一体の神秘は、実は、愛の神秘なのです。この神秘から、完全に愛し合う複数のペルソナは、一体になるほど完全に一致することが分かります。ですから、愛し合う人にとって、死によっても破られない絆となっている愛とは、それを完成させることによって、完全な一致をもたらすものであると言えるわけです。

聖なる父よ、
あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、
神のいのちの神秘を示してくださいました。
唯一の神を礼拝するわたしたちが、
三位の栄光をたたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イェスーキリストによって。アーメン。

 

6月11日 聖バルナバ使徒 (マタ10,7-13)

「(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」マタ10,13

イエス・キリストは、命をかけて救いのわざを成し遂げてくださいましたが、救いの恵みを全世界に広めることを、使徒たちをはじめ、救いの恵みを受けたすべての人々にゆだねてくださいました。私たちが、福音を知るようになって、今、救いの恵みにあずかることができるのは、2000年に渡って多くの人々が、イエスから与えられた使命を果たしてきたからです。
私たちがこの人たちを思い起こし、彼らの人生の賜物に感謝しながら、受け入れた恵みに忠実に生きることによって、ますます多くの人々に福音を伝えることができますように祈りましょう。

すべての人の父である神よ、
あなたは、異邦人の回心のために、
聖霊と信仰に満たされた聖バルナバをお選びになりました。
使徒の熱意と模範にならい、わたしたちも、キリストの福音を
ことばと行いを通して宣べ伝えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月10日 教会の母聖マリア (ヨハ19,25-34)

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」ヨハ 19:26-27

私たちは、自分のお母さんを選ぶことができませんが、御ひとり子は、人間になる前にご自分のお母さんとしてマリアをお選ばびになりました。マリアは、その使命を完全に果たしたからこそ、イエスは、マリアのもとで、成長し、完全な人間になられたのです。

イエス・キリストは、ご自分のためだけではなく、ご自分のからだである教会のため、つまり、この教会であるキリスト者一人ひとりのためにもマリアをお母さんとしてお選びになったのですから、私たちには、産みのお母さん以外に、もう一人お母さんがいることを常に意識し、マリアに守られながら、マリアの模範と導きに従って生きることによって、神の愛の内に成長して、完全な愛の交わりにたどり着くことができますように祈りましょう。

あわれみ深い父である神よ、
十字架につけられた御ひとり子は、
ご自分の母であるおとめ聖マリアを、
わたしたちの母として与えてくださいました。
マリアの愛に助けられ、あなたの教会が、
日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、
母としてすべての民の家族を迎え入れることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

聖霊降臨の主日C年 (ヨハ14,15-16.23b-26)

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」ヨハ14,15-16

イエス・キリストの霊を受ける人は、イエス・キリストと同じように愛に生きる能力を受け入れます。この能力を発展させ、実らせるために、愛を実践する必要があります。

愛を実践する努力は、愛の能力を発展させ、自分の中にある愛を成長させるために、必要であるだけではなく、聖霊の働きを受けるためにも、結果的に、私たちの愛が完成されるためにも不可欠なものなのです。

というのは、聖霊は、ただの力や能力だけではなく、父である神とイエス・キリストと同じように生きた神であり、ペルソナ(位格)でであるからです。聖霊は、私たちを愛してくださる方、私たちの愛を求めておられる方なのです。すべての人々がその望みに応えて、愛に生きるように、聖霊は常に働いてくださいますが、私たちの自由意志を尊重しておられますので、私たちの承諾がなければ、私たちの内で自由に働くことができないのです。

愛に生きるための私たちの努力は、私たちが求めるような成功を収めなくても、聖霊の導きに従いたいという私たちの望みの表現でありますので、必ず、聖霊との交わりを深めるものになっています。同時に、この努力は、聖霊の働きを承諾する表現にもなっていますので、私たちが愛を実践するように努力すればするほど、聖霊がますます自由に、ますます力強く私たちの中で働くことができるのです。

私たちの努力の結果というよりも、聖霊の働きの結果として、私たちは、愛に生きることを不可能にするいろいろな束縛から自由になり、少しずつイエス・キリストが愛したように、愛するようになりますし、イエス・キリストご自身の姿に変えられて行くのです。

すべての人の父である神よ、
きょう祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生に当たって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。