11月10日 年間第31金曜日 (ルカ16,1-8)

「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」ルカ16,8

キリスト者の生活において、父である神に信頼することと、すべてを神にゆだねることが何よりも大事なことですが、それは神にすべての仕事を任せて、自分で何もしないで、ただすべてを神にしてもらうのを待つことではなく、どんな状況においても神の導きを探し求め、与えられた才能、能力や他の力を尽くしてこの導きに従うこと、つまり安心して、自分にできることややるべきことを、全力を尽くして努力するということなのです。

私たちは、イエス・キリストと同じように、いつも父である神に信頼しながら力を発揮して、父である神から与えられた様々な富の、良い管理人になることができますように祈りましょう。

11月9日 ラテラン教会の献堂 (ヨハ2,13-22)

「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した。」ヨハ2,15-17

エルサレムの神殿は、人間の象徴です。一人ひとりの人は神にかたどって、神の似姿として創造されました。神は一人ひとりの人を通して、ご自分の栄光を表し、全世界に神聖な命を注ぎたいと望んでおられます。そのために、神の望みに沿って生きている人は、他の人に命を伝える仲介者となっているわけです。

残念ながら、多くの人々が、エルサレムの祭司たちと同じように、神から与えられた能力を本来の目的のために用いる代わりに、また、神の望みに沿って他人を助け、生かす代わりに、ただ自分自身だけを生かそうとして用いるがゆえに、他人に苦しみや死をもたらすことになっているのです。

私たちが本来の姿に戻るように、エルサレムの神殿を清めたイエスは、私たち一人ひとりを清めたいと望んでおられるのです。しかし、私たちを清めるには神殿の場合と違って、自由意志の持ち主である私たちの承諾なしには、全能者である方さえも無力なのです。

ますます多くの人が、心を開き、キリストの働きによって清められて、神の命がますます豊かに全世界に注がれますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
あなたは年ごとに、
ラテラン教会の献堂を記念させてくださいます。
あなたの家でいつも清いいけにえがささげられ、
豊かな救いの恵みが与えられますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月8日 年間第31水曜日 (ルカ14,25-33)

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。『もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。』」ルカ14,25-27

イエスの弟子であるとは、イエスと同じようにどんな状況においても、どんな人と接するときにも、愛を基準にして生きることを求めて、イエスとの関係を深めながら、イエスの導きに従って生きる者であることなのです。

私たちは、誰よりも何よりもイエス・キリストを強く愛するようになり、イエスを信頼し、頼りにすることによって、あらゆる人を愛することができますように祈りましょう。

11月7日 年間第31火曜日 (ルカ14,15-24)

「イエスは言われた。『ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、「もう用意ができましたから、おいでください」と言わせた。』」ルカ14,16-17

私たちの創造主である神が、私たちのために用意してくださった宴会とは、ご自分との愛の交わり、しかも、最高の幸福であり永遠に続く愛の交わりなのです。

神の招待に応えて、「天の宴会」に向かって生きている私たちは、神の愛を示す生き方によって神の招待を多くの人々に伝え、「天の宴会」が「お客」で一杯になりますように祈りましょう。

11月6日 年間第31月曜日 (ルカ14,12-14)

「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」ルカ14,13-14

イエス・キリストが教えておられる通り、恩返しや他の利益を期待せずに、全く無償で自分よりも弱い人を助けることこそが、真の愛なのです。

私たちを生かすために、ご自分の命さえも惜しまなかったイエス・キリストに倣って、また、感謝の祭儀であるミサ聖祭に参加するときに、キリストの言葉やキリストの体に養われ、愛の完成に向かって真の愛に生きることができますように祈りましょう。

わたしたちの神である父よ、
心を尽くしてあなたに仕え、
すべての人を愛する恵みをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月4日 年間第30土曜日 (ルカ14,1.7-11)

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」ルカ14,11

自分の価値を知らない人は、他の人から誉を求めたり、別の人を批判したり、軽蔑したりすることによって自分を高めようとしています。けれども、イエス・キリストのように、父である神に愛されていることを知ることによって、自分自身の真の価値を知っている人は、自分と同じように神に愛されている他の人の価値を見出し、周りにいる人たちを高めるように、つまりこの人たちも自分の価値を知ることがでるように、この人たちに奉仕します。

私たちが、私たちに対する父である神の愛をますます強く自覚することができますように。そして、安心して、この愛を他の人と分かち合うことによって、この人を高めながら、父である神との愛の交わりを深めることができますように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月5日 年間第31主日A年  (マタ23,1-12)

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」マタ 23,11-12

律法学者たちやファリサイ派の人々は、神が与えてくださった掟に従えば、神から祝福を受ける、つまり報いを与えられると信じていました。しかし、彼らにとって神の祝福を受けるとは、自分の欲求を神に満たしてもらうということでした。そして、掟を守るように一生懸命に努力しても、自分の欲求はなかなか満たされなかったので、神を頼りにすることを諦めて、力が許す限り、自分で自分の欲求を満たそうとするようになったようです。

彼らが自分の努力によって手に入れることができたのは、会堂の上席に座ることや、挨拶されることや、先生や教師と呼ばれるというような、ユダヤ人の世界の中のちょっとした特権だけでしたので、その特権によって自分たちが偉い人間であると感じることができたでしょうし、そんな自分のことで満足していたかもしれません。しかし、彼らの心は、信頼せず、頼ることのできなかった神と、彼らが軽蔑していた人々から離れていたので、彼らが得たことよりも、はるかに大切なもの、本当の価値のあるものを失っていたわけです。

神がくださった掟やイエスの教えは、自分たちの欲求を満たすための条件ではなく、創造主である神が定めた人生の目的への道を示す道標であり、神を信頼して、この道標に従う人は、すでに神の命にあずかり、神との交わりの内に生きて、人間として成長していることをますます多くの人が意識して、イエス・キリストとともにこの道を歩むことができますように祈りましょう。

すべてを一つに集めてくださる父よ、
信じる人々が、
あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
あなたの恵みによるものです。
今ここに集まっているわたしたちが、
約束された国に向かって
ともに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月3日 年間第30金曜日 (ルカ14,1-6)

「イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。『あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。』」 ルカ14,4-5

人間の愛は、どれほど大きなものであっても、それは必ず、神が与えてくださった賜物でありますし、神ご自身の愛の偉大さの非常に小さな写しに過ぎないものなのです。

人間の愛を通してご自分の愛を現してくださる神に感謝しながら、他の人の愛を経験することによって、神ご自身の愛をますます強く実感し、この愛を受け入れることによってあらゆる束縛から解放されますように。そして、自ら愛に生きることによって、神の愛を他の人に示すことができますように祈りましょう。

11月2日 死者の日 (ヨハ6,37-40)

「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」ヨハ6,40

いつくしみ深い父である神は、すべての人々を愛し、すべての人々の救いを求めておられるがゆえに、御ひとり子をこの世に遣わし、イエス・キリストの死と復活によって、罪の結果である死に打ち勝ち、私たちが神の命にあずかり、神との愛の交わりのうちに永遠に生きる可能性を作ってくださいました。そして、今、この恵みを受けるようにとすべての人を招いておられるのです。

今日、死者の日に当たり、亡くなられた方々が、神のいつくしみを受け、この世に生きている間に犯したすべての罪から清められ、父である神が準備してくださった救いにあずかることができますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
復活された御子キリストに従うわたしたちの信仰を強め、
死者の復活を待つわたしたちの希望を不動のものとしてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月1日 諸聖人 (マタ5,1-12a)

「そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。』」マタ5,2-3

諸聖人の祭日に当たって、いろいろな聖人や聖女のことを思い起こすと、彼らは異なった性格を持っていて、異なった生き方をしていても、一つの共通点があることに気付くと思います。それは、貧しい心を持つこと、つまりイエス・キリストが現してくださった神の愛、神の国、神ご自身を何よりも大切な宝物にすることなのです。

私たちは、諸聖人の模範と取り次ぎの祈りに支えられて、イエスと共に、神の愛のうちに生きることによって、より多くの人に神の愛を伝えることができますように。そしていつかすべての聖人と共に、いつまでもこの愛にあずかって生きることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたはきょう、すべての聖人のいさおしを
たたえる喜びを与えてくださいます。
聖人たちの取り次ぎを願うわたしたちが、
あがないの恵みを豊かに受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。