聖霊降臨の主日B年 (ヨハ15,26-27;16,12-15)

「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。」ヨハ16,13-14

聖霊降臨の祭日は、イエス・キリストが遣わしてくださった聖霊が、使徒たちと彼らと一緒にいた他の弟子たちの上に降ったことの記念であるだけではなく、キリストの体である教会の誕生の記念でもあります。なぜなら、神が土から人間を形づくって、その内にご自分の息吹を吹き込んでから、人間が生きた者になったように、イエス・キリストが集めた教会に、神の霊である聖霊が「吹き込まれた」ときから、教会は生きた者、キリストの生きた体になったのです。

教会は、イエス・キストの生きた体ですので、生きた聖霊によって生かされ、また、聖霊によって導かれる教会の働きは、イエス・キリストご自身の働きです。したがって、イエス・キリストは今も、教会を通してご自分の救いの働きを続けておられるのです。実は、イエス・キリストが昇天された後にも、救いの働きを続けるためにこそ、教会を創ってくださったので、救い主の働きを続けることが、教会が創られた意義であり、教会の存在の意義なのです。

洗礼を受けるときに、私たちも聖霊を受け、神の命にあずかり、神の子どもになったと同時に、キリストの生きた体である教会の一部となりました。ですから今、教会の使命が、私たちの使命であり、教会の存在の意義が、私たちの存在の意義なのです。

私たち一人ひとりが聖霊に生かされ、聖霊の導きに従って生きることによって、三位一体の神との愛の交わりを深めながら、与えられた使命を果たし、できるだけ多くの人々を父である神のもとに導くことができますように祈りましょう。

すべての人の父である神よ、
きょう祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生に当たって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月14日 聖マチア (ヨハ15,9-17)

「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」ヨハ15,10-12

互いに愛し合う人々は、この愛によって結ばれています。愛が完成されたら、愛の絆も完成されますので、愛し合う人々は一つになるのです。イエスがいつも父である神と心を一つにすることができたのは、父である神を完全に愛していたからです。イエスは、同じように私たち一人ひとりと愛によって結ばれること、やがて、私たちと一つになることを求めておられるのです。

私たちは、イエスに忠実に従うことによって、つまり自分の意志や望みをイエスの意志や望みに、自分の心をイエスの心に合わせることによって、ますます深くイエスと結ばれて、完全な一致に向かって歩むことができますように、今日祝う聖マチア使徒の取り次ぎによって祈りましょう。

全能の神よ、
あなたは聖マチアを選び、
使徒団に加えられました。
わたしたちも、あなたの愛を豊かに受け、
聖人の取り次ぎに支えられて、
選ばれた人々の集いに入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。

主の昇天B年 (マコ16,15-20)

「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。・・・信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』」マコ16,15-18

イエス・キリストはご自分の受難、十字架の死と復活によって、すべての人々をあがなってくださいましたが、世界は全然変わっていないように見えるのではないでしょうか。つまり、イエスがこの世に来られる前と同じように人々は罪を犯しているし、前と同じように苦しんでいるし、前と同じように死ぬということなのです。

イエスの使命の一つの目的について、ヘブライ人への手紙の中に次のように書いてあります。「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」(ヘブ2,14-15) 。

考えてみれば、以上の言葉通りに人々が自己中心に生き、罪を犯したり、愛に背いたりするのは、殆どの場合、何の希望も持たずに、死とそれに先立つ苦しみに対する恐れに支配されているからです。そのような現状に生きている私たちに、イエス・キリストはご自分の言葉と行いによって、神の愛を現し、私たち自身の罪やその結果である死を含めて、この愛を滅ぼすことのできる悪がないことを教えてくださいました。そして、ご自分の復活によって、それが事実であることを証明してくださったのです。

イエスが成し遂げてくださった救いのわざの一つの結果として、私たちは神の愛を受け入れることができるようになりました。そして、この愛を受け入れる人は、最高の幸福の源である神と結ばれて、神と神の愛を受けた多くの人々と共に、今だけではなく、永遠に生きることができるようになったのです。

イエスを信頼して、イエスの言葉がもたらす希望を抱く人は、苦しみや死に対する恐れから解放されます。この人は苦しみや死に関して怖れを感じても、もはやこの怖れによって左右されなくなりますので、自分を生かすために他人を利用したりするのではなく、イエスのように愛に根ざして、他人のために生きることができるのです。

私たちは、与えられた信仰、希望と愛に忠実に生きることによって、多くの人々がイエスの救いのわざを知るようになり、神の愛を受け入れることによって、この世界が神の国に近づくことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたは御ひとり子イエスを、
苦しみと死を通して栄光に高め、
新しい天と地を開いてくださいました。
主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。
キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、
ともに永遠のいのちに入らせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。

 

復活節第6主日B年 (ヨハ15,9-17)

「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」ヨハ15,10

イエスと出会うことによって神の愛を体験した人の心には、イエスのように愛したいという望みが生まれることがよくあります。この望みは、人生を照らし、それに素晴らしい目標と意義を与え、大きな喜びの源となります。けれども、イエスのように愛に生きることを強く求めても、全力を尽くして愛するように努力しても、なかなか思い通りに行かないのが殆どです。

こうして、自分の望みと自分の現実との間には緊張が生まれます。この緊張は、今まで知らなかった苦しみを生み出します。この苦しみを和らげるために、イエスのように愛することが不可能であると決めつける人がいます。確かに、この望みを非現実的なものであると思うようになって、それを諦めれば楽になりますが、同時にこの人の愛も成長することができなくなりますし、結果的に本当にイエスのように愛することができなくなるのです。

イエスが私たちに向かって、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハ15,12)と言われたならば、私たちには、必ずそのような能力があるということです。この能力を生かして、イエスが愛したように愛するようになるために、まずイエスの言葉が本当に可能な目標を示していると信じて、その目標と今の現実とのギャップが生み出す苦しみを受け入れる必要があります。それから、たとえそれを自分が求めている愛と比較して、今の自分の愛は小さくて無に等しいものであると思っても、今自分が持っているこの小さな愛の実践に心がける、つまり、慌てずに、イエスの教えに一歩ずつ従って生きる必要があるということなのです。

全能の、神である父よ、
復活された主イエスの記念を真心こめて祝います。
この喜びを、
わたしたちが日々の生活の中に保つことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活第5週

29日(日) 復活節第5主日 

30日(月) 復活節第5月曜日

(聖ピオ5世教皇)

1日(火) 復活節第5火曜日

(労働者聖ヨセフ )

2日(水) 復活節第5水曜日

聖アタナシオ司教教会博士(記)

3日(木) 聖フィリポ、聖ヤコブ使徒(祝)

4日(金) 復活節第5金曜日

5日(土) 復活節第5土曜日

(さいたま教区司教座教会献堂記念日)

復活節第5主日B年 (ヨハ15,1-8)

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」1ヨハ3,18-20

回心する前にファリサイ派に属していたパウロは、他の多くの人よりも律法を知っていましたし、他の多くの人よりも律法の定めに忠実に生きていました。それゆえに、パウロは、他の人よりも優れていると思って、自分が完璧な人間であるという自信を持っていたのです。

けれども、その時のパウロは律法の文字に忠実であっても、律法の精神から遠く離れていました。彼の生活には強い正義感があっても、愛やいつくしみが全然ありませんでした。律法を守らない人を厳しく罰することができても、人の弱さを理解することや、人の過ちをゆるし、人を力付け、正しい生活に導くことができませんでした。結果的にパウロは、神のみ旨に従って生きようと思っても、実際には神に逆らって生きていて、神の味方であるつもりであっても、実際には神の敵となっていたのです。

イエスと出会ってからパウロの生活が全く変わりました。確かに、イエスとの出会いは、彼にとって苦しいことでした。なぜなら、その時、自分自身がどれほど自分自身を騙していたか、どれほど現実から離れていたかという事実が分かったからです。それと同時に、パウロにとってイエスとの出会いは大きな希望と喜びの源にもなりました。その時から、パウロはもはや自分の力に頼らず、イエスが現してくださった神の力、特に神の愛といつくしみに頼るようになりました。イエスと繋がって生きるようになったパウロは、他人に対する態度も変え、彼の心が神ご自身の心のように広くなりました。そのような生活によって、彼が本当に神を知っているということ、本当に神の子になったということを表していたのです。

私たちもパウロのように、私たちの心よりも大きな神の愛に力付けられて、自分の現状を知り、神のいつくしみに頼ることによって、神の愛に生きることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたは、キリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、
御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活第4週

22日(日) 復活節第4主日 (世界召命祈願の日)

23日(月) 復活節第4月曜日

(聖ジェオルジオ司教殉教者)、(聖アダルベルト司教殉教者)

24日(火) 復活節第4火曜日

(聖フィデリス -ジグマリンゲン- 司祭殉教者 )

25日(水) 聖マルコ福音記者(祝)

26日(木) 復活節第4木曜日

27日(金) 復活節第4金曜日

28日(土) 復活節第4土曜日

(聖ペトロ・シャネル司教殉教者)、(聖ルイ・マリー・グリニョンド・モンフォル司祭)

復活節第4主日B年 (ヨハ10,11-18)

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世が私たちを知らないのは、御父を知らなかったからです。」1ヨハ3,1

普段人間が羊を飼うのは、その毛や肉や乳などのため、要するに、自分の利益のためです。羊飼いたちが、羊のために時間をかけて、力を尽くして一生懸命に働くことがあっても、それは最終的に、この利益をより大きくするためなのです。良い羊飼いであると宣言されたイエスは、ご自分のために何の利益も求めないだけではなく、この羊、つまり私たちのために、ご自分の命をささげてもくださるのです。

何の利益も求めず、自分より弱いもののために命を懸ける人がいるかもしれませんが、イエスは私たちのために、誰にもできないようなことをされました。それは受肉です。つまりイエス・キリストにおいて、神ご自身が人間となられたということなのです。確かにそれは、羊飼いが自ら羊になったような、非常に信じがたいことですが、私たちにとって何よりも大切なことなのです。なぜなら、御言葉である神の子が人間になったがゆえに、今私たちが神の子になり、神の命にあずかるようになって、神の家族の一員になれるからです。それこそ、私たちの救いですし、イエス・キリストがご自分の命をささげていいと思われたほど価値のあるものなのです。

この救いは無償の賜物ですが、それを受け入れるために、羊が羊飼いに従うように、私たちはイエスに従わなければなりません。イエスに従うためには、私たちが命を犠牲にする必要性がなくても、今まで大事であると思って力を尽くして手に入れようとしたもの、手に入れてから奪われないように注意を払ってきて結果的にいつも執着しているものを、手放す必要があるでしょう。ですから、イエスを愛している時だけ、つまり、イエスとの繋がりがこの世において最も大切な宝であると確信している時だけ、私たちは救いにあずかることができるわけです。

全能永遠の神よ、よい牧者キリストは、
わたしたちのためにいのちをささげてくださいました。
キリストの声に従うわたしたちがあなたの国に導かれ、
聖人とともに喜びを分かつことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。