はじめに

 

キリスト者にとって、神の言葉である聖書こそが、あらゆる本の中で最も大切な書物です。けれども、その聖書よりも大切なものがあります。それは、生きた神の言葉であるイエス・キリストなのです。私たちが聖書を読むのは、この書物を知り、それを通して伝えられている神の導きに従って生きるためだけではなく、イエス・キリストを知るため、また、イエス・キリストとの交わりを深めるためなのです。

いくら大切で素晴らしい本であっても、それを読んで、理解すれば本棚に戻して、必要な時にだけこの本を手にすることが多いのが、現実ではないでしょうか。本の場合はそれで十分ですが、人間関係の場合は十分ではありません。愛している人との関係を深めていきながら、その完成に向かって生きるために、やはり、その人と毎日接することによって、無限な神秘である相手をますます深く知ることが不可欠です。なぜなら、いくら愛していても、相手から離れてしまって、接することがなくなり、その結果として、その人に対する愛をもはや深めることがないならば、この愛は段々と衰えていき、やがて消えてしまう恐れがあるからなのです。

従って、聖書という本を知るためではなく、イエス・キリストとの交わりを深めるために聖書を読むならば、それを毎日実践することは、祈りをするのと同じように重要なものになるのです。本ブログの題名にした「日々、御言葉と共に」とは、毎日聖書を読んで、その言葉を黙想するという意味もありますが、もっと大切な意味というのは、毎日聖書を読み、神の言葉を黙想することによって、毎日イエス・キリストと接して、イエスの言葉に耳を傾けて、彼に従って生きるということなのです。

聖書を読む方法はいろいろとありますが、カトリック教会が第二バチカン公会議のときに、毎日のミサの中の福音朗読のために作った聖書朗読配分に従って、この日のために定めた箇所を読むという優れた方法もあります。この方法が優れているというのは、同じ箇所を読んでいる全世界のカトリック信徒、特に、この日のミサに参加して、この聖書の言葉を耳にしている信徒と、心を合わせて朗読と黙想をすることができるし、自分自身も、キリストの最も優れた記念であり、主イエスと接するための特別な場であるミサに参加するならば、その参加をより有意義なものにするための準備になるからです。

本ブログに載せた御言葉に関する解説や感想は、私自身の黙想の結果として、イエスと交わった結果もたらされたものですが、皆さんの黙想やイエスとの交わりのための一助となるならば幸いです。これからも、御言葉を黙想し、理解したことを実行するように努めることなどによって、本ブログの題名にあるように、「日々、御言葉と共に」生き続けて、皆さんの黙想とイエスとの交わりが更に深まるよう、心よりお祈りいたします。

なお、聖書からの引用は、『聖書新共同訳』(日本聖書協会)によります。