年間第22主日C年 (ルカ14,7-14)

「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」ルカ14,13-14

イエスは、宴会やパーティの催し方ではなく、神の国について教えています。イエスが神の国について教えてくだったのは、神の国に入るように招かれている私たちの心の中で、神の国に入りたいという望みを起こすため、また、神の国へと導く道を教えるためだったのです。

イエスは、ご自分が教えてくださることを必ず実践しておられる方です。「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を」招くことについての教えも、例外ではありません。イエス・キリストご自身が催してくださった宴会というのは、最後の晩餐と同時に、過ぎ越しの神秘、つまり、キリストの十字架上の死と復活の再現にもなっているミサ聖祭、感謝の祭儀なのです。ミサ聖祭に招かれている人たちは、自分の力だけによっては、絶対に幸せになることのできない人、神の恵みを受けても、何のお返しもできない人々ばかりなのです。

ミサの中でイエスは、私たちのために二つの食卓を準備しておられます。一つは、御言葉の食卓です。もう一つは、イエスご自身の体の食卓です。したがって、ミサの中で私たちは、神の言葉とイエスご自身の体、つまり、どんな美味しい食べ物や飲み物にも、勝る「食物」によって養われていますし、目に見える兄弟姉妹だけではなく、イエスご自身との、イエスによって三位一体の神との、つまり、どんなに楽しい仲間にも勝る方々との、交わりの恵みを与えられているのです。

このようなミサは、神の小羊の婚宴に譬えられている、神の国の先取りなのです。なぜなら、神の国とは、最高の喜びと平和、つまり至福に満たされて、三位一体の神と救われたすべての人との、愛の交わりに生きることだからなのです。したがって、開かれた心を持ってミサに参加することによって、私たちはある程度まで、神の国の現状を体験することも、神の国の生き方を身に着けることもできるのです。

私たちは、意識的にミサに参加し、神の愛について学び、それを実際に体験し、実感することによって、仲間のキリスト者やイエス・キリストとの愛の交わりを深めることができますように。そして、日常生活において、イエス・キリストと共に、また、キリストのように生きること、すなわち、自分の楽しみや他の利益ではなく、無償の愛を基準にして生きることによって、神の国へ向かって歩みながら、多くの人々を神の国へと導くことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたを愛する心をお与えください。
復活の信仰に生きるわたしたちが、
人々の中で、
絶えずそのあかしを立てることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。