5月19日-5月25日(21週)

19日(日)復活節第5主日

20日(月)復活節第5月曜日

  (聖ベルナルディノ -シエナ- 司祭)

21日(火)復活節第5火曜日

  (聖クリストバル・マガヤネス司祭と同志殉教者)

22日(水)復活節第5水曜日

  (聖リタ -カシャ- 修道女 )

23日(木)復活節第5木曜日

24日(金)復活節第5金曜日

25日(土)復活節第5土曜日

復活節第5主日C年 (ヨハ13,31-33a.34-35)

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハ13,34

殆どの人は、自分の人生において何か足りないとか、自分の心が何かに飢え渇いていると感じても、それが具体的にどんなものであるのかが分からないようです。そのために、いろいろな物を追求しますが、どんなものを手に入れても、なかなか満足しないのです。人間は愛によって神と結ばれて、いつまでも神の命と至福にあずかるために創造されましたので、愛に生きていない限り、決して満たされることもなく、心が飢え渇き続けるのです。

けれども、自分の心が満たされるために愛が必要であると分かっても、愛とは何であるかが分からない人が殆どです。例外もあるでしょうが、私たちが子どもの時から体験している「愛」というのは、私たちを愛してほしいと思う人の期待に、応える代わりにもらう報いのようなものです。私たちが言われたことに聞き従ったり、良く勉強したり、スポーツが上手くできたり、親切であったり、お金や他のものを貸したりするとき、それで喜んだ人にほめられたり大事にされたりする時に、愛されているように感じるのではないでしょうか。そのような「愛」を体験して来た人は、自分を喜ばせる人に対して好意を持ったり、この人に優しくしたりする時、この人を愛していると思うのでしょうが、それは悪いことではなくても、私たちが心の奥底で求めている愛ではないのです。

本当の愛を知りたいならば、この愛に生きたイエス・キリストを見つめる必要があります。イエスが示した通りに、真の愛とは、無償で、無条件に相手のために真の善を行うことです。本当に愛する人は、それが自分の喜びになっている時だけではなく、苦しみになっている時でさえも善を行い続けるし、相手を高めるために自分の時間や力だけではなく、必要に応じて自分の命までささげます。確かに、自分がこのように愛されたら素晴らしいことです。けれども不思議なことに、人間の心が満たされるのは、人間がこのように愛されている時ではなく、誰かをこのように愛している時だけなのです。なぜなら、このように愛することによってだけ、私たちは私たちの人生の目的である神と一体になるからです。

聖なる父よ、
あなたは、キリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、
御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。