12月30日-1月5日

30日(日) 聖家族

31日(月) 主の降誕第7日

(聖シルベストロ1世教皇)

1日(火) 神の母聖マリア(祭)、世界平和の日

2日(水) 聖バジリオ 聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士(記)

3日(木) 降誕節木曜日(主の公現前)

(イエスのみ名)

4日(金) 降誕節金曜日(主の公現前)

5日(土) 降誕節土曜日(主の公現前)

聖家族C年 (ルカ2,41-52)

「イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」ルカ2,48-49

イエスがその生みの母であったマリアに向かって語った言葉、例えば、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか。・・・見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マコ3,33-35)という言葉を読むと、イエスは孝行息子ではなかったとか、血の繋がりを大事にされなかったというような印象を受ける人がいるようです。

しかし、もしそれが事実であったならば、イエスは34年間の生涯の内の30年間も家庭生活をされたでしょうか。決してそうではないはずです。やはり、人生の凡そ90%を家族にささげたイエスは、家族の生活は非常に大事であるということを示したと思います。

考えてみれば、非常に多くの場合、血の繋がりがあっても、犬猿の仲の関係に生きる人が多くいます。自分の野心や欲望を優先して自分の子どもに対する責任を怠ったり、また、子どもを虐待したりする親もいれば、自分の両親を敬わずに、ただいろいろな援助や資金の源としてしか見ていない子どもも沢山います。家族の中でいろいろな問題が世代から世代へと伝わることも珍しくないのです。

イエスが聖母マリアに語った言葉によって、血族関係が大切であっても、何よりも大事なのは、神との関係であるということを教えています。神は私たちの幸福を妬むような恋がたきではなく、すべての人が互いに愛し合うことを求めておられる天の父であり、愛の源です。ですから、神との関係を何よりも大切にするということは、他の人間関係を犠牲にすることではなく、神から真の愛をいただくことによって、血族関係を含めて、あらゆる人間関係を癒していただくということなのです。

恵み豊かな父よ、あなたは、
聖家族を模範として与えてくださいました。
わたしたちが聖家族にならい、
愛のきずなに結ばれて、
あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

待降節第4週・降誕節

23日(日) 待降節第4主日

24日(月) 降誕前日前

25日(火) 主の降誕(祭)

主の降誕(夜半)

主の降誕(早朝)

主の降誕(日中)

26日(水) 聖ステファノ殉教者(祝)

27日(木) 聖ヨハネ使徒福音記者(祝)

28日(金) 幼子殉教者(祝)

29日(土) 主の降誕第5日

(聖トマス・ベケット司教殉教者)

待降節第4主日C年 (ルカ1,39-45)

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」ルカ1,45

待降節がまだ終わっていないのに、もうすでにいろいろなところでクリスマスの飾り付けがされていて、クリスマスの雰囲気を味わうことができます。おそらくクリスマスの飾り付けさえすれば、場合によって、クリスマスプレゼントを買い、クリスマス会やクリスマスのミサを予定に入れさえしたら、クリスマスの準備ができたと思う人がいるかもしれません。けれども、クリスマスの準備は本当にこれだけで十分なのでしょうか。主を迎えるために相応しい準備とは、どういうことであるかということが分かるためには、聖母マリアを見つめる必要があると思います。

マリアは天使が伝えた神の言葉を受け入れて、救い主の母になるということを信じましたが、自分の体を特別に大切にしたり、自分の家をきれいにしたり、必要なものを揃えたりして、生まれてくるイエスのために周りの環境を準備したのではありません。天使のお告げの中で聞いたもう一つのメッセージ、つまり年寄りの親類のエリサベトが妊娠しているというメッセージを優先したかのように、急いでエリサベトのところへ行って、数ヶ月の間彼女に奉仕していたのです。

主のはしためであったマリアは、人に仕えることこそが、神に仕えることであると知っていました。自分が神の子の母になるということが分かっても、偉そうにしたり他の人から奉仕を求めたりしたのではなく、かえって、以前以上にもっと力を尽くして他の人に奉仕していたのです。マリアはエリサベトに仕えることによって、まだ生まれていなかったイエスにも仕え、その誕生のために準備していたとさえ言えると思います。

私たちもマリアの模範に倣って、待降節の残りの時間を特に隣人愛の実践のために使うならば、クリスマスの準備を完成させるに至るに違いないと思います。

恵み豊かな父よ、
わたしたもの心にいつくしみを注いでください。
みことばが人となられたことを信仰によって知ったわたしたちが、
御子の苦しみと死を通して復活の栄光にあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

待降節第3主日C年 (ルカ3,10-18)

「民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。」ルカ3,15

民衆はメシアを待ち望んでいたのに、メシア・救い主が実際に来られたとき、彼を喜んで迎え入れたのではなく、「十字架につけろ」と叫んで、ローマの兵士の手によって殺してしまったのです。それは、非常に悲劇的なことでしたが、私たちの人生においても、同じようなことが起こっていないでしょうか。

人間は、それをはっきり意識していなくても、誰かに意図的に接しようとしているとき、必ずこの人に関して何か期待を持っているものなのです。非常に多くの場合、この期待は出会った人自身や、この人との出会いを評価する基準になっています。この人が、私たちの期待通りに話したり、期待通りに振る舞ったりしたならば、私たちは満足や喜びを感じて、この人を高く評価します。しかし、客観的にこの人が私たちに良いことをしても、それが私たちの期待したことでないならば、がっかりしますし、この人やこの人がしてくれた良いことを受け入れることができないだけではなく、この人を非難したり攻撃したりすることさえあります。このような精神の働きに従って、当時の人々がイエスを排斥してしまったのは、イエスが悪いことをしたからではなく、この人たちがメシアに対して持っていた期待にイエスが応えず、彼らの思う通りには振る舞わなかったからなのです。

私たちは、この人たちと同じような過ちを犯さないよう、キリストを迎え入れる準備のために与えられている待降節の後半を生かし、自分の心を支配しているいろいろな思い込みや勝手な期待、また、余計な執着や拘り等を手放して、私たちのために最善のことを求め最善のことを行ってくださるイエス・キリストを、ありのままに受け入れることができますように祈りましょう。

喜びの源である父よ、
御子キリストの誕生を心から待ち望むわたしがちを顧みてください。
喜びのうちに降誕祭を迎え、
この救いの神秘を祝うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

待降節第2主日C年 (ルカ3,1-6)

「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」ルカ3,3

「悔い改め」という日本語に翻訳されている元々のギリシア語の「メタノイア」は、自分が目指す目的や、今までの自分の行いについての考え方を、変えるということを意味する言葉です。どうしてそのような変化が、救い主を迎えるために必要なのでしょうか。

洗礼者ヨハネは、罪人、すなわち創造主である神が示す目的ではなく、それと違う目的を目指す人に向かって、メタノイアを呼び掛けていました。確かに、多くの人が創造主である神が示してくださる道よりも、良い道を知っていると思って、神の導きを無視して、自分勝手に決めた道を歩んでいます。そのような生き方の結果を正直に見つめることができたならば、それは自分が期待したものと全く違っているということに、誰でも気が付くはずです。残念ながら、このような事実を認めて今の道を諦めて新しい道を探す代わりに、殆どの人たちが自分自身を騙して、後もう少し進めばきっと求めているものが手に入るはずだと自分に言い聞かせているようです。

おそらく、人々がこのように自分を騙して、間違った道を歩み続けるのは、他の道は存在しないと心の奥深いところで思っているからです。もしこの思いをはっきりと意識したならば、絶望してしまって生きることができなくなったことでしょう。

確かに、人間は自分だけに頼っている時、他の道を見出すことができないし、その状態は絶望的なものでもあるでしょうが、洗礼者ヨハネは、悔い改めるように呼びかけたと同時に、救い主の到来と共に生まれる新しい可能性をも宣べ伝えていました。私たちは、救い主であるイエスにおいて希望を見出し、曲がった道を離れて、キリストが示してくださる道を真っすぐに歩むことができますように祈りましょう。

永遠の父よ、
御子キリストを待ち望む心をお与えください。
いつも目ざめて祈り、主が来られる時、
喜び迎えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

12月3日 日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭 (マコ16,15-20)

「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。』」マコ16,15

2000年の間、どんな時代にも聖フランシスコ・ザビエルと同じようにイエスの言葉に従って、福音を宣べ伝えていた人々がいましたので、キリストの教会が全世界に広まって、私たちも神の愛についての良い知らせを聞いて、それを受け入れ、父である神の愛と命にあずかるようになったのです。

今までの教会の宣教活動を神に感謝しながら、これからの時代にも、聖フランシスコ・ザビエルのような多くの熱心な宣教師が生まれ、神が教会を通して働き続け、全人類のための救いの計画を実現していきますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたは、聖フランシスコーザビエルの宣教を通して、
アジアの民をみもとに集めてくださいました。
わたしたちも、聖人と同じ熱意に燃えて信仰を伝え、
救いの喜びを多くの人と分かち合うことがでぎますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。