年間第19週

12日(日) 年間第19主日

(聖ポンチアノ教皇 聖ヒッポリト司祭殉教者)

13日(月) 年間第19月曜日

(聖ポンチアノ教皇 聖ヒッポリト司祭殉教者)

14日(火) 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者 (記)

15日(水) 聖母の被昇天(祭)

高松教区司教座教会献堂記念日

16日(木) 年間第19木曜日

(聖ステファノ – ハンガリー )

17日(金) 年間第19金曜日

18日(土) 年間第19土曜日

(聖母の土曜日)

年間第19主日B年 (ヨハ6,41-51)

 「イエスは言われた。『わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。』」ヨハ6,51

もし、イエスがナザレの人々の考えたように、ただのヨセフの息子であったならば、イエスの言葉を、全く現実から離れた人が語ったものや人々を惑わせようとした人の話として、それを無視してしまった方がいいと思います。けれども、イエスは自分自身が語ったように、ヨセフの子ではなく、宇宙万物を創ってくださった神の子であって、この神である父によって遣わされた方であるならば、イエスが語られた言葉は非現実的なものではなく、今まで私たちの現実になかったような新しい可能性を現すものとして聞くべきであると思います。

この新しい可能性というのは、永遠の命なのです。しかし、この永遠の命というのは、ただいつまでも今のまま生きるということではなく、イエスと同じように神の子どもとして、神と共に愛の交わりの内に生きるということなのです。

この可能性を実現させるために、イエスが私たちをご自分の体と血によって、要するに、ご自分の命によって養ってくださいます。普段、人は何かを食べるなら、そのものが自分の体の一部になりますが、イエスが下さる命のパンを食べる人は、そのパン、つまりイエスの体の一部になっていきます。そのため私たちは、イエスを信じて正しい心を持ってご聖体を受け入れるならば、私たち自身が少しずつ変えられ、イエスを通して父である神と結ばれ、父である神とのますます深い交わりに生きるようになり、最終的にイエスと同じように、父である神ご自身と一体になるのです。

全能永遠の神よ、
わたしたちは、
聖霊によってあなたの子どもとしていただきました。
あなたを父と呼ぶわたしたちを、
約束された永遠のいのちに導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

8月6日 主の変容B年 (マコ9,2-10)

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』」マコ9,7

神の愛する者であるイエス・キリストは、完全で、最も魅力的な人間なのです。ですから、イエスの本当の姿を見る人は、必ずイエスに憧れて、イエスを愛するようになり、いつまでもイエスと一緒にいたいと望むようになると言っても言い過ぎではないでしょう。

ますます多くの人がイエスを知り、イエスを愛するようになるために、すでにイエスを愛している私たちが、イエスと共に生き、イエスに忠実に従うことによって、少しずつイエスのようになり、イエスの素晴らしさを現すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
御子キリストは栄光の姿のうちに現れ、
聖書のことばを通して、弟子たちに救いの神秘を説き、
神の子どもとなるすばらしさを示されました。
御ひとり子の声に従うわたしたちが、
キリストとともにあなたの国を継ぐものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第18週

5日(日) 年間第1主日

6日(月) 主の変容(祝)

日本カトリック平和旬間開始(15日まで)

広島教区司教座教会献堂記念日

7日(火) 年間第18火曜日

 聖シスト2世教皇と同志殉教者

聖カエタノ司祭

8日(水) 聖ドミニコ司祭(記)

9日(木) 年間第18木曜日

聖テレサ・ベネディクタ – 十字架の – おとめ殉教者 – エディット・シュタイン

10日(金) 聖ラウレンチオ助祭殉教者(祝)

11日(土) 聖クララおとめ(記)

年間第18主日B年 (ヨハ6,24-35)

「イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。』」ヨハ6,35

人間のあらゆる必要性が満たされているとき、人間は安定して幸福感を味わっています。けれども、必要性の中には簡単に満たされるようなものだけではなく、満たすためには一生懸命に働かなければならないようなものもあれば、いくら努力しても、自分だけでは満たすことのできないものもあります。

自分の必要性を簡単に満たすことができない人間は、安定感や幸福感を得るためにいろいろな工夫をします。その内、最も一般的と考えられている仕方とは、次のようなものです。簡単に満たせるような必要性を、機会がある度に必ず満たし、なかなか満たすことのできないような必要性は、意識しないように抑えるか、本当に必要なものがもたらすような感覚を与えるものとして代用品を用いて、必要性が満たされているかのように感じる状態にします。それは、たとえば空腹のときに、本当に必要な食事をする代わりに、一杯の水を飲むか、何の栄養もないものを食べることによって、空腹感をなくすことで、空腹感が表した必要性が満たされたかのように感じる状態にするようなものです。言うまでもなく、それによって安定感を得ても、それは本当の安定ではありません。幸福感を得ても、それは本当の幸福ではありません。そうする人は、自分を欺くだけではなく、インスタント食品ばかり食べている人のように自分に害を与えもします。そのことがすぐに分からなくても、何時か必ず分かるものなのです。

主イエスには、私たちのすべての必要性を満たす力があるし、この必要性を必ず満たしてくださると約束してくださいました。私たちは、イエスの力とイエスの忠実さを信頼して、自分で満たすことのできない心と魂の飢え渇きを隠すのではなく、それを主に委ね、イエスの導きに従うことによって、すべての必要性を満たしていただくように祈りたいと思います。

すべてを治められる神よ、
あなたに祈り求める民を顧み、
尽きることのないいつくしみを注いでください。
あなたの似姿に造られた人々が救いの恵みを受け、
新しいいのちのうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。