四旬節第2木曜日 (ルカ16,19-31)

「アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」ルカ16,31

お金は、人間に力を与えます。この力を用いて人間は、いろいろな理由で自分の基本的な必要性さえも満たすことのできない人を、助けるという善を行うことができます。けれども、同じ力を手に入れて自信を持ちすぎて傲慢になり、皆が自分で自分のことをしなければならないと考えるようになって、持っているお金を自分のためにだけ使って贅沢に暮らし、自分の欲望を満たしたりすることによって、自己破滅の道を歩むこともあり得るのです。

人間は、いくらお金を持っていても、それで真の愛を買うことも、真の幸福を買うこともできないという事実を常に意識して、お金を頼りにするのではなく、父である神の愛と導きと力を頼りにして生きることができますように祈りましょう。

聖なる神よ、
わたしたちの心をあなたに引き寄せてください。
愛の霊に満たされて揺るぎない信仰の道を進み、
よい行いを通して豊かな実りをもたらすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第2水曜日 (マタ20,17-28)

「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」マタ20,27-28

人間は互いに愛し合うために創造されていますが、原罪の一つの結果として、他人を支配し、自分の利益のために他人を利用するような傾向があります。この傾向に従うと、自分が他の人よりも有利な立場にあり、自分を生かしているような気持になるのでしょうが、実際にはますます非人間的になっていくのです。

私たちは、自分の心の中にある悪への傾きに逆らって、イエス・キリストに倣って生きることができますように。そして、イエスのように他の人に奉仕することによって、しかも、命をかけて奉仕することによって、私たちの創造主である神の御心に適って、人間らしく成長し、完成されますように祈りましょう。

すべての人の父である神よ、
あなたの家族が、いつもよい業に励むよう導いてください。
旅するわたしたちが恵みによって支えられ、
あなたの国の喜びに入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第2火曜日 (マタ23,1-12)

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」マタ23,11

神が人間が期待している通りに働いてくれないとか、人間が期待しているような賜物や報いを与えてくれないならば、この人はがっかりします。神に対してがっかりしている人は、自分の働きによって得られるような利益を得られるように、そしてそれで満足するように誘惑されています。律法学者やファリサイ派の人たちのように、この誘惑に陥る人間は、表面的に信仰を持ち続けても、神のもとに留まるつもりであっても、実際には神から離れていくし、滅びへの道を歩んでいるのです。

私たちは、思い通りにならないときにも、イエスを信頼し続け、イエスが与えてくださった約束がもたらす希望に強められて、イエスの導きに従うことによって救いへの道を歩み続けることができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたの教会を、いつもいつくしみをもってお守りください。
あなたから離れては立つことのできないわたしたちを恵みによって支え、
滅びの道から遠ざけ、救いに導いてくださいますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第2月曜日 (ルカ6,36-38)

「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」ルカ6,36

父である神の愛といつくしみは無限ですし、神はそのすべてを私たちに与えたいと望んでおられますので、私たちが完全に満たされることを妨げる唯一の問題というのは、私たち自身の心であるわけです。

私たちはイエス・キリストに従い、私たちの愛が非常に小さなものであってもそれを実践することによって、自分の心の成長を促進することができるように祈りましょう。そして、神の愛といつくしみをますます豊かに受け入れることによって、最終的に愛である神ご自身を受け入れることができますように祈りましょう。

すべてを治められる神よ、
あなたは、魂をいやすためにからだの節制をお命じになりました。
わたしたちがすべての罪を遠ざけ、
あなたの愛のすすめにこたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1土曜日 (マタ5,43-48)

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」マタ5,43-45

自分に対して敵意を持って悪を行う人々を憎み、彼らを傷付けたり殺したりするならば、朽ちるものを守ることができるかもしれませんが、憎む人の仲間、他人に害を与えたり、他人を殺したりする人の仲間になるのです。けれども、彼らを愛する、つまり、彼らのために善を行うならば、朽ちるものを失うかもしれませんが、愛する人の仲間、善を行う人の仲間になります。イエス・キリストのお蔭で、今は恵みの時ですので、誰でも自分の生き方と自分の仲間を自由に選ぶことができるのです。

ますます多くの人々がイエス・キリストの生き方を選んで、神の子になり、イエスをはじめ、他の神の子らと共に父である神の愛にあずかって、永遠に生きることができますように祈りましょう。

永遠の父よ、
罪深い民をあなたに立ち帰らせてください。
わたしたちが、一つの必要なものを絶えず求め、
愛の業を通して、ひたすらあなたに仕える者となりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第2主日B年 (マコ9,2-10) 

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』」マコ 9,7

非常に多くの人々は、とても単純な規則に従って生きているようです。それは何かというと、楽しみや愉快をできる限り増やすことと、悲しみや苦痛をできる限り減らすことなのです。恐らくそのような生き方によって、できる限りの幸せな人生を送れるものと思っているのでしょう。けれども、実際に楽しいものであっても、人に害を与えるものもあれば、苦しみが伴っても、人間のために良いものがあります。幸福を求めてこのような規則に従って生きる人は、害を招いたり、善を拒否したりして、結果的に不幸になっても不思議ではないと思います。

イエスは全く違う規則、決断や選択の違う基準を私たちに与えてくださいます。この基準というのは、楽しみや愉快でもなければ、悲しみや苦痛でもありません。それは愛、つまり隣人のために善を求めることなのです。

確かに人が、この規則に従って愛に生きるなら、大きな喜びを体験することもあれば、大きな悲しみや苦しみを体験することもあります。けれども、この人はどんな目にあっても、愛し続けることができるならば、出会ったすべての人のためにいつも善を行い、必ず人間として成長しますし、そして、何よりも重要なこととして、人間の真の幸福の源である神に近づき、神との絆をますます強めるのです。これこそ、この人にとっても、この人が会う他者にとっても、最善の生き方になるのです。

聖なる父よ、
あなたは「愛する子に聞け」とお命じになりました。
みことばによってわたしたちを養ってください。
信仰の目が清められて
あなたの顔を仰ぎ見ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1金曜日 (マタ5,20-26)

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」マタ5,20

神が律法、つまりいろいろな掟や指示、また禁止を与えてくださったのは、人間の心の中で愛を育て、人間の心をご自分に近づけるためなのです。

律法を表面的に守っても、心が神から遠く離れていたがゆえに偽善者であった、律法学者やファリサイ派の人々と違って、律法の精神である愛に生きて、父である神と心を一つにしていたイエス・キリストに倣って生きることによって、私たちの心が清められ、ますます大きな愛で満たされますように祈りましょう。

恵みあふれる神よ、
信じる民が、主の過越の記念を
ふさわしい心で行うことができるよう導いてください。
すべての人に恵みをもたらすものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1木曜日 (マタ7,7-12)

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」マタ7,11

私たちのために善だけを求めて、判断を間違えることもない父である神は、私たちに悪いものとか、有害なものを与えることは絶対にありませんので、私たちは安心して、何でも願うことができるのです。

私たちは、思い通りにならないことがあっても、父である神を信頼して、神との対話を忍耐強く続けることによって、私たちにとって真に価値のあるもの、本当に良いものを知ることができますように祈りましょう。そして価値のないものや、有害なものへのこだわりや執着から解放されて、最善のもの、私たちを生かすものを受け入れることができますように祈りましょう。

全能の父よ、
いつも正しいことを考え、
すすんで実行する力をお与えください。
あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
あなたの息吹によって生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1水曜日 (ルカ 11,29-32)

「南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」ルカ11,31

神の言葉であり、人間に関する神の望みと神の知恵を伝える聖書は、殆どすべての言語に翻訳されていますので、殆ど誰でも聖書を手に入れることも、それを読んで神の望みと神の知恵を知ることもできるのです。
聖書を通して私たちにご自分の言葉を与えてくださった神に感謝しながら、ますます多くの人々が聖書を読むことによって、神の言葉を知り、それを受け入れ、それに従って生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
真心からあなたに仕える民を顧みてください。
節制によってからだを支配し、
よい業の実りによって心を新たにすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1火曜日 (マタ6,7-15)

「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。』」マタ6,9-10

「主の祈り」は、神の望み、つまり、父である神が人間に与えたいと望んでおられることと同時に、人間にとって最も必要なことを現しています。この祈りを唱える目的は、神の心を変えることではなく、自分の心を神の心に合わせることなのです。

私たちは、イエス・キリストが現してくださった神の望みに従って生きることによって、人生の目的である神との一致が実現されますように祈りましょう。

全能の神よ、
世を生きるあなたの家族を顧み、
節制に努めるわたしたちのうちに、
あなたを求める心を燃え立たせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。