9月30日 年間第25土曜日 (ルカ9,43b-45)

「イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。『この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。』」ルカ9,43b-44

父である神は、御ひとり子を人々の手に引き渡したことによって、人々への信頼と愛を表してくださいましたが、人々がこの信頼を裏切って、愛を拒否して、キリストを苦しめ殺してしまいました。それにもかかわらず、父である神は、今でも、また、これからも、私たちを信頼して愛してくださっているのです。

ますます多くの人が父である神の望みに応え、イエス・キリストを受け入れることによって、神の愛と神ご自身を受け入れ、自分自身を神にささげることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたを深く愛する心をお与えください。
すべてにおいてあなたを愛し、
人の思いをはるかに越えたしあわせに
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

10月1日 年間第26主日 A年 (マタ21,28-32)

「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。」エゼ18,25

自分が歩んでいる道は正しいかどうかということを確かめるために、どうすれば良いのでしょうか。それは当然ながら、目指している目標に近づいているかどうかを確認することです。もし、その道を歩むことによって目標に近づいているならば、この道は正しいですが、目標から遠ざかっているならば、正しくないということになります。

人生の場合も、同じことが言えると思います。自分の生き方が正しいかどうかということを判断するために、人生の目的を基準にしなければなりません。けれども、ここに問題があります。人生の目的がはっきりとしないために、多くの人が自分の欲求や欲望を基準にしてしまいます。従って、欲求や欲望を満たすことができるならば、正しい道を歩んでいると浅薄にも思っているのです。

誰でも体験していることだと思いますが、私たちの欲求や欲望は、互いに矛盾していたりして、私たちが求めていることは、必ずしも私たちにとって良いものであるとは限りません。また、欲求や欲望は満たされることによって消えるのではなく、段々と大きくなっていく一方です。そのために、それを道しるべにする人は、たまに満足感や喜びを味わうことがあっても、自分や他人を傷つけることがあるし、苦労してよく動いても、どこにも近づけずに、グルグル回っているだけです。

キリスト者が目指している目標は、はっきりしています。それは、キリストのような人になることなのです。従って、自分の生き方によって、少しずつキリストに似ているようになっているならば、安心してこの生き方を続ければいいわけですが、そうでないならば、この生き方を正して、キリストの道をただ眺めるのではなく、それを実際に歩む人にならなければならないのです。

全能の神よ、
あなたのゆるしは限りなく、
そのあわれみはすべてに及びます。
あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、
永遠の喜びを与えてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月29日 聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使  (ヨハ1,47-51)

「イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる』。」ヨハ1,47-51

天使たちに関する信仰だけではなく、霊的な次元そのものや人間の霊的な生活に対する関心も薄くなっている現代に生きている私たちは、大天使の祝日を祝うことによって、私たちを導き、守り、助けるために天使たちを遣わしてくださっている神に感謝しながら、この天使たちに助けられて神から与えられている使命を果たし、この世に関する神の計画が実現されますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
あなたは限りない英知をもって
天使と人間にそれぞれ使命をお与えになりました。
あなたに仕える天使の助けによって、
わたしたちもゆだねられた使命を果たすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月28日 年間第25木曜日 (ルカ9,7-9)

「しかし、ヘロデは言った。『ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』そして、イエスに会ってみたいと思った。」ルカ9,9

洗礼者ヨハネの言葉を聞きたい、イエスに会ってみたいというようなヘロデの望みは、神の恵み、回心への神の招きでしたが、ヘロデは自分の権力や欲望に執着していて、自分の考え方や生き方を変える覚悟を持っていなかったから、つまり心を閉ざしていたから、この恵みを無駄にしてしまったのです。

イエス・キリストがメシアで、神の子、また真の命への道であると信じている私たちは、いつも開かれた心をもってイエスの言葉を聞き、イエスに従うことによって成長し、イエスの姿に変えられますように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

9月27日 年間第25水曜日 (ルカ9,1-6)

「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わ(された。)」ルカ9,1

洗礼を受けてキリストの弟子となった私たちは、十二人の使徒と同じように、善を以て悪と戦うために、そして神の国の福音を宣べ伝えるために、遣わされているのです。

私たちは、何よりも誰よりも、私たちを遣わしてくださったイエス・キリストを頼りにし、イエスとのますます深い愛の交わりに生きることによって、与えられた使命を果たし、多くの人々を父である神のもとに導くことができますように祈りましょう。

 

 

9月26日 年間第25火曜日 (ルカ8,19-21)

「イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。」ルカ8,21

30年間、マリアのもとで家庭生活をされたイエス・キリストは、家族の絆が非常に大事なことであると示してくださいましたが、この世のものである家族の絆よりも、永遠に続く信仰と愛による絆の方こそが大事であると教えてくださったのです。

私たちは、父である神を信頼し、愛するがゆえに、神の言葉に耳を傾け、それに従って生きることによって、イエス・キリストと結ばれている絆を深めると同時に、キリストと繋がっていることによって神の家族になった他の人々との絆を強めることができますように祈りましょう。

9月25日 年間第25月曜日 (ルカ8,16-18)

「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。」ルカ8,16

ともし火は、周りを照らしているときにのみ、つまり、自分のためだけではなく、自分以外のもののためにも存在しているときだけ、その存在に意義と価値があります。それと同じように、イエス・キリストの弟子、また、愛である神の子になった私たちの言葉や行い、私たちの人生全体は、私たち以外の人のためになっているときだけ、それには意味があり、価値があるのです。

ご自分のすべてを私たちと分かち合い、全力を尽くして私たちを生かしてくださる父である神に感謝しながら、父である神に倣って、いただいているすべての恵みを他の人と分かち合うことによって、父である神ご自身の愛の素晴らしさを示し、多くの人々の人生を照らすことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月24日 年間第25主日A年 (マタ20,1-16)

「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」マタ20,15

常識的に考えれば、二人の人が全く同じ仕事をしている場合は、長く働いた方がより大きな報酬をもらうことが正しいことですが、イエスのたとえの中に登場する労働者は、長く働いても短く働いても、皆全く同じ報酬をもらいます。一番長く働いた人が不満を言っても不思議ではないでしょう。

けれども、イエスは人間の正義について語るのではなく、神の正義について語っておられます。もし、神の正義感が人間の正義感と同じならば、誰が神の国に入り、神の命にあずかることができるのでしょうか。聖パウロが言っている通り、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなって」(ロマ 3,23)いるからです。

幸いに、神の正義は人間の正義と全く異なるものです。神にとって本当に正しいことというのは、善に相応しい報いを与え、悪に相応しい罰を与えるということではなく、神の望みが実現されることで、神の約束が成就されることなのです。

実は、永遠の命とは、人間の良い行いのための報いではなく、神の無償の賜物なのです。そして、聖パウロが言っている通り、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(1テモ2,4)。要するに、神は気前の良い方ですので、この最高の賜物をすべての人に与えたいと望んでおられるのです。

私たちは、この賜物を受けているかどうか確認したいならば、自分の行いを見つめる必要があります。なぜなら、救いの賜物を受けるとは、神の愛と命と共に、神ご自身を受け入れること、神の愛の内に、神と共に生きることであるからです。従って、私たちの行いがどれほど、神と完全に一致しておられたイエス・キリストの行いに似ているかということを見分けることによって、私たちがどれほど神の賜物を受けているかということが分かるわけです。

ひとり子を与えるほど世を愛された父よ、
あなたは愛のおきてによって、
すべてを完成に導いてくださいます。
わたしたちが互いに愛し合うことによって、
人々にあなたの愛をあかしすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月22日 年間第24金曜日 (ルカ8,1-3)

「そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」ルカ8,3

マグダラのマリアと他の多くの婦人たちがイエスに従ったのは、イエスから何らかの利益を求めたからではなく、イエスと使徒たちに奉仕をすることによって、既に頂いた恵み、悪からの解放や癒していただくことを感謝したいと思ったからです。そのためにこそ、彼女たちは、イエスが力強く活動をなさっていて、多くの人々から尊敬されたときだけではなく、もう何もできないと思われたときも、イエスの仲間であることが危険であったときにも、イエスに従いイエスのそばにいることができたのです。

私たちはこの婦人たちに倣って、既にいただいている恵みを思い出して、必要に応じてイエスに従う動機を正し、どんな状況においても、イエスに忠実に生きることによって、イエスに対する私たちの愛が完成され、私たちも、イエスの勝利と復活の喜びにあずかることができますように祈りましょう。

9月21日 聖マタイ使徒福音記者 (マタ9,9-13)

「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」マタ9,9

罪を犯すことによって人間が、自分をはじめ多くの人に害を与えるにもかかわらず、罪を犯し続けるのは、自分を生かしたいとか、もっと豊かな人生を送りたいとか、もっと楽しく生きたいとか、誰かと繋がりたいなどといった望みを満たす他の方法を見出せず、他のアイデアが思い当たらないからだと思います。

人間をそのような罪の暗闇から解放するために、イエス・キリストは罪の真の結果を教えるだけではなく、人間に使命を与えることによって、その人の人生に正しい方向付けと、人生の完成に導く道をも示してくださるのです。

私たち一人ひとりに素晴らしい使命を与えてくださるキリストに感謝しながら、私たちは聖マタイのようにこの使命を受け入れ、それを果たすことによって、他の多くの人を生かすと同時に自分を生かす、有意義な人生を送ることができますように祈りましょう。

すべての人の救いを望まれる神よ、
あなたは限りないいつくしみをもって
徴税人マタイを選び、使徒とされました。
わたしたちも聖人の模範にならい、
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。