7月1日 年間第12土曜日 (マタ8,5-17)

「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。』」マタ8,16-17

   イエスが一言だけ語ることによって、人の病気を癒してくださったところを見ると、イエスにとって人を癒すことは、非常に簡単なことであったように見えるでしょう。しかし、人々を癒すことが、イエスにとってどれほど大変なことであったか、人を癒すためにイエスはどれほど大きな「代価を支払った」かということが分かるためには、イエスの受難とイエスの十字架上の死を見る必要があるのです。

イエスがご自分の受難と死によってもたらした、救いの恵みを無駄にしないために、私たちは百人隊長のようにイエスの愛と権威を認め、心を開いて、体、心と魂の癒しの恵みを受け入れることができますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
わたしたちの信仰、希望、愛を強めてください。
すべてに越えてあなたを愛し、
約束された永遠のいのちを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月2日 年間第13主日A年 (マタ10,37-42)

「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」マタ10,37–42

イエス・キリストはすべての人の救いのために、すなわち、すべての人々が父である神の愛の招きに応じて、神の愛を受け、神に自分の愛をささげることによって、神と結ばれ、永遠に神との愛の交わりに生き、神の至福にあずかるために十字架を担って、十字架上でご自分の命をささげてくださいました。このような死を含めてイエス・キリストの人生全体を見ると、愛するとは、自分の命を含めて自分のすべてを、他の人の真の善と真の幸福のためにささげることであるということが分かると思います。

自分の十字架を担ってイエスに従うとは、イエスと同じように、どんな状況においても愛に生きること、つまり、順境においてだけではなく、逆境においても、愛に喜びが伴うときだけではなく、愛に悲しみや苦しみが伴うときにも愛に忠実に生き、自分の身内や自分のことを愛して、自分のために善を行う人のためにだけではなく、他人や自分を憎んで、悪を行う人のためにも、できる限りの善を行い続けることなのです。キリストの弟子は、このように生きるときだけ、愛において成長し、完成されて、イエスご自身と同じような人間となり、イエスの弟子としての目的に辿り着くことができる、つまり、父である神と一つになることができるという意味で、「イエスにふさわしい」人なのです。

このような生き方は非現実的なものや、非常識的なものに見えても、宇宙万物の創造主の御ひとり子として人間のことを誰よりもよく知っておられると同時に、人間を誰よりも強く愛しておられるイエス・キリストが、それを私たちに求めておられるならば、人間にとって可能な生き方であるだけではなく、最高の生き方でもあるという確信を持つことができるのです。

ますます多くの人々が、イエスを信頼して、イエスの呼びかけに応え、イエスのように生きることによって父である神の愛の招きを受け、神ご自身と神の招きを受けた他の多くの人々とともに、この世においても、死を超えても、完全な愛の交わりのうちに永遠に生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、
光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

6月30日 年間第12金曜日 (マタ8,1-4)

「一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。」マタ8,2

重い皮膚病の患者が認めた通りに、イエスには、私たちを清くする力、つまり、私たちを罪の支配下から解放し、神と和解させ、神との愛の交わりに導く力があるのです。

ますます多くの人々が、心を開いて、イエスがご自分の受難と死によって成し遂げてくださった救いの恵みを受け入れ、父である神との正しい関係に入り、イエスの導きに従うことによって、神との愛の交わりを深めて行くことができますように祈りましょう。

6月29日 聖ペトロ 聖パウロ使徒 (マタ16,13-19)

「シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。』」マタ16,16-18

今日、私たちは全世界に広まっている教会と共に、教会の礎となった聖ペトロと聖パウロの祭日を祝う中で、聖ペトロは、自分の期待や感情に振り回されたり、自分を守るためにイエスとの関係を否定したりした人で、一方、聖パウロは、初代教会を迫害することによって、イエス自身を迫害した人であったということを思い起こせば、キリストの愛の偉大さと、人の心を変えるキリストの愛の力強さを、実感できるのではないかと思います。

キリストの愛を頼りにして、私たちは聖ペトロと聖パウロのように、力を尽くしてイエスに従うことによって、いろいろな束縛から解放されて、キリストの愛に満たされ、与えられた使命を果たすことができますように祈りましょう。

すべてを治められる神よ、
使徒ペトロとパウロの殉教をたたえて祈ります。
教会が、信仰の礎となった使徒の教えを受け継ぎ、
その真理を世界にあかしすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

6月28日 年間第12水曜日 (マタ7,15-20)

「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。」マタ7,15-16

   預言者は、未来を予想する人ではなく、人間の生き方を正すように、また、創造主である神が定めた道を示すように、神から預かった言葉を宣べ伝える人なのです。形が違っても、昔と同じように現在も、偽預言者、つまり、人間を真の幸福へと導く本当に正しい道を示す神の言葉ではなく、自分の利益のみを求めて、自分自身の言葉、多くの人に受け入れられやすい言葉、甘い言葉を述べる人が非常に大勢いますので、昔と同じように警戒する必要があるのです。

私たちは、神の言葉そのものであるイエスとの交わりを深めることによって、偽預言者に騙されることなく、いつも正しい道を歩むことによって、多くの人のために、真の幸福に導く道を示す道しるべになることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月27日 年間第12火曜日 (マタ7,6.12-14)

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」マタ7,12

   他の人に対して悪を行わないことは、良いことですが、そのためには愛は必要ありません。相手のことに関して無関心であっても、自分が相手に悪いことをしなければ、相手から悪いことをされないだろうというような考え方だけで十分でしょう。けれども、イエスによれば、人間らしく生きるためには、それは十分ではありません。必要なのは、自ら進んで人のために善を行うこと、つまり愛に生きることなのです。

私たちは、イエスに倣って、何の計算もせずに、お返しすることのできない人のためにも、私たちに悪を行う人のためにも、善を行い、真の愛を広めることができますように祈りましょう。

6月26日 年間第12月曜日 (マタ7,1-5)

「兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」マタ7,4-5

   自分の問題をはっきりと認識することやそれを解決することは、辛いことですので、この苦しみを避けるために多くの人々は、自己正当化を試みたり、責任転換したり、自分を自分よりも悪い人と比較したり、他の人を批判したりします。けれども、そのような努力によって気が少し楽になっても、自分の問題はそのまま残っていますし、場合によって、当初よりも問題は段々と大きくなって、私たちの人生にますます悪い影響を及ぼしていることもあるのです。

私たちは、あらゆる問題を解決する力を持っておられるイエスに信頼して、イエスの無条件の愛に力付けられて、自分の問題から逃げることなく、それを認識して、イエスと共にこの問題の解決に取り組むことができますように祈りましょう。

天地万物を治められる神よ、
あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
世界に平和への道を示してください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月24日 洗礼者ヨハネの誕生 (ルカ1,57-66,80)

「父親は字を書く板を出させて、『この子の名はヨハネ』と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」ルカ1,63-64

洗礼者ヨハネの父、ザカリアは、息子の誕生のお告げを受けたとき、天使が言ったことを信じなかったがゆえに、何も話せなくなりましたが、天使に言われた通りに、生まれた息子にヨハネという名前を付けることによって、信仰と従順を表した結果、再び話せるようになり、偉大なわざをなさる神を賛美するようになったのです。

私たちは、自分の人生において神の力と神の働きの素晴らしさを体験することによって、父である神をますます強く信頼し、愛するようになり、自分の言葉と行いによって神を賛美し、洗礼者ヨハネのように、神の御ひとり子イエス・キリストを多くの人に紹介することができますように祈りましょう。

すべての人の救いを望まれる神よ、
あなたは洗礼者ヨハネを遣わし、
人々に救い主キリストを迎える準備をさせてくださいました。
あなたの民を信仰の喜びで満たし、
救いと平和の道に導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月25日 年間第12主日A年 (マタ10,26-33)

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタ10,28

人はいろいろなものを恐れるために、不自由になったり、場合によってやりたいことや、やらなければならないと思うことが、全くできなくなったりします。そのために、何も恐れないようになりたいと思う人が沢山いるようです。けれども、恐れは人間の自己防衛本能の大事な一部ですので、危険なものに対して恐れを感じなければ、人間は生きることができないのです。

本当に問題なのは、私たちが恐れること自体というよりも、何が危険であるか、何が危険ではないか、つまり何が恐れられるべきか、何が恐れられるべきではないかということを、知らないことなのです。そのような無知のために、例えば、麻薬を恐れなくても、医者を恐れている人がいます。また、隣人を助けることを恐れても、他の人を騙したり、悪用したりすることを恐れていません。

イエス・キリストは、私たちに恐れるべきものと、恐れる必要のないものを示しています。けれども、それだけではありません。人間が恐れの奴隷にならないように、恐れによって麻痺状態に落とされないように、逆に恐れを乗り越えて、正しいことを実行するために必要な力をも与えています。

私たちはイエスと同じように、父である神の愛を体験して、この愛を最も大切な宝にし、自分の選択の基準にするならば、あらゆる怖れから解放されて、すべての人の善と幸福を求めておられる神が示してくださる道を、歩むことができるのです。

聖なる父よ、
あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月23日 (金) イエスのみ心の祭日A年 (マタ11,25-30)

「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。』」マタ11,25-26

イエスのみ心の祭日を祝う私たちは、私たちと同じように有限の存在であったイエス・キリストが、人間の心で愛することによって、無限の存在である神の愛を現してくださったことを思い起こし、感謝します。

私たちは、イエス・キリストをますます深く知ることによって、父である神の愛を知ることができますように。そしてこの愛をますます豊かに受け入れ、イエスと同じように神の愛に生きることによって、この愛をまだ知らない人に示すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、あなたは、
人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、
限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。
わたしたちが、
心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。