四旬節第5月曜日C年 (ヨハ8,12-20)

「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」ヨハ 8,12

人間が長い間暗闇に留まると、光を求めても、明るみに出るのを怖がるようです。同じように、罪に生きている意味で、霊的な暗闇に生きている人は、心の奥深い所で、正しく生きる意味で光を求めても、罪の束縛から自由になることや正しい生き方を身に付けることに伴う、労苦や他の苦しみを恐れているために、霊的な暗闇に留まるのです。

キリストの光を受け入れた人々が、この恵みに忠実に生きることによって、イエス・キリストとともに光に生きることの素晴らしさを表して、暗闇に留まっている人を勇気づけ、世の光であるキリストのもとに導くことができますように祈りましょう。

恵みの源である神よ、 
豊かな祝福でわたしたちを満たしてください。
わたしたちが、日々罪に死んで新しいいのちに生き、 
栄光の現われを待ち望むことができますように。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

降誕節土曜日(主の公現後) (ヨハ3,22-30)

「ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。」ヨハ3,27-28

洗礼者聖ヨハネは神から与えられた使命を、威張るためとか、自分を高めるためや他の利益のために用いなかったからこそ、この使命を全うすることができましたし、神ご自身に生かされ、高められもしたのです。

私たちは、洗礼者聖ヨハネに倣って、父である神を信頼し、与えられた能力や使命に伴う権威を自分の利益のために用いることなく、自分のことを神にゆだねながら、あらゆる力を神の望みに従って発揮し、使命を忠実に果たすことができますように祈りましょう。

永遠の父よ、あなたは、
ひとり子の誕生によって
わたしたちを新しい人としてくださいます。
キリストと結ばれたわたしたちが、
神の子どもとして生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

降誕節金曜日(主の公現後) (ルカ5,12-16)

「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」ルカ5,12-13

イスラエルで、汚れた者として定められた重い皮膚病を患っていた人に触れることは、禁じられていました。なぜなら、汚れた人に触れる人が、自らもまた汚れた者になると思われたからです。けれども、イエスは汚れた人に触れても、ご自分が汚れた者にならなかったばかりか、汚れた人を清めすらしたのです。

私たちは、自分が犯した罪によってどれほど汚れていても、信仰を持ってイエスに近づき、イエスに触れていただくことによって、私たちのすべての汚れが清められますように祈りましょう。

全能の神よ、あなたは、
皇の導きによって救い主の誕生をあらわしてくださいました。
わたしたちの心に光を注ぎ、
信仰の道を歩ませてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

降誕節木曜日(主の公現後) (ルカ4,14-22a)

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」ルカ4,18-19

人間は正しい生き方を求めても、正しい道を知らないし、正しい道を知らされても、罪やいろいろな執着などによって束縛されていますので、この道を歩むことができないのです。

私たちに救いへの道を表すためだけではなく、私たちをあらゆる束縛から解放するために、さらに私たちを力付けるために来られたキリストを受け入れ、イエスの救いの働きを承諾し、それに協力することができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたはひとり子によって、
すべての民の上に救いの光を照らしてくださいました。
人々が救い主を受け入れ、
永遠の栄光に導かれますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

降誕節水曜日(主の公現後) (マコ6,45-52)

「皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない』と言われた。 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。」マコ6,50-51

イエス・キリストのことを、優れた人間であると思っても、ただの人間でしかないと考えている人は、イエスの教えや行いで驚いたり、感動したりしても、この人の人生において、あまり大きな変化が起こらないでしょうし、イエスによって生かされることもないでしょう。

ますます多くの人々が、イエス・キリストにおいて、この宇宙万物を創造してくださった神ご自身が私たちの間に入ってくださったことを認め、イエスの姿が見えなくても、イエスと共に生き、イエスを信頼することができますように。そして、あらゆる恐れから解放されて、イエスと同じように愛に生きることによって、豊かな人生を送りながら、永遠の命に向かって歩むことができますように祈りましょう。

すべての人を照らしてくださる神よ、
あなたの民にゆるぎない平和を与え、
キリストを待ち望む人に注がれた光を
わたしたちの心にも満たしてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

降誕節火曜日(主の公現後) (マコ6,34-44)

「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」マコ6,34

飼い主がいなければ、全く無力で、目の弱い羊は、狼に襲われやすくなるし、自ら青い草や水を見出すことができないので、結果的に生きることもできないでしょう。

ますます多くの人々が自分たちの限界を認め、ご自分の教えと働きによって私たちをあらゆる悪から守る力も、人間のすべての必要性を満たす力も、さらに永遠の命の源である神のもとに導く力も、ことごとくご自分にあることを示されたイエスに信頼して、イエスの言葉に従って生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
御ひとり子は人となって世に来られました。
わたしたちと同じ姿になられた御子によって
新しい人となることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

降誕節月曜日(主の公現後) (マタ4,12-17.23-25)

「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」マタ4,17

イエス・キリストの到来と共に「神の国が近づいた」、つまり、神との正しい関係、愛の交わりのうちに生きる可能性が、すべての人々に与えられたのです。

ますます多くの人々が、人生の目的であり、最高の幸福の状態である神との愛の交わりに生きる希望を、イエス・キリストにおいて見出すことができますように。そして、イエスに近づくことによって、神のもとに近づき、イエスを受け入れることによって、神を受け入れることができますように祈りましょう。

万物を治められる神よ、
あなたの光でわたしたちの心を照らしてください。
この世のやみを乗り越えて、
あなたの国の栄光に達することができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

1月6日 降誕節 (マコ1,7-11)

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」マコ1,9-11

自分が神の子であることは、イエスの最も深いアイデンティティになっていましたので、その身分に相応しい生き方、つまり神の心に適う生き方をし、神の愛と神の命を全世界にもたらすことが、イエスにはできたのです。

洗礼を受けた私たちは神の子どもであるわけですので、この身分をますます深く自覚し、神の子どもであるという事実が私たちの最も深いアイデンティティになりますように。そして、父である神の心に適う生き方をすることによって、イエスと同じように神の心に適う神の子になることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたは、ひとり子の誕生によって
世に新しい光を注いでくださいました。
おとめマリアからお生まれになった救い主に結ばれて、
わたしたちもあなたの国の栄光に
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

主の公現 (マタ2,1-12)

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」マタ2,1-2

福音書には、ベツレヘムで生まれたイエスを拝みに来た羊飼いたちと三人の博士について書いてあります。羊飼いたちと学者たちとの間にはいろいろな違いが沢山あるでしょうが、少なくとも一つの共通点があると思います。それは何かというと、謙遜なのです。

おそらく羊飼いたちは、自分の仕事しか知らないほど素朴な人でしたから、幼い子どもたちが両親の言葉を信じるように、素直に天使たちから伝えられた知らせを受け入れました。博士たちは、当時の学者でしたので、本当の学者らしく、勉強すればするほど自分の限界を良く意識して、ますます謙遜になっていたので、神の導きに従うことができ、自分の理解力を超えるものであっても、幼子において啓示された真理を受け入れることができたのです。

現在は、教育の発展の結果、素朴な羊飼いのレベルを超えている人が大勢いますが、博士たちのレベルに届く人は、それほど多くないようです。少しだけ学んで、もうすでにすべてを知っていると思い込むがゆえに、子どもの素直な心を失い、それでいてなお学者の知恵を得ていない人たちは、自分の限界を認めることなく、自分たちを超えるものを受け入れることができないのです。恐らくそのため、現代の多くの人々は、人間の知恵をはるかに超える神によって啓示された真理に対して心を閉ざし、表面的には賢そうでも、実際は偽りのもので満足しようとしているのではないでしょうか。

すべての民の光である父よ、
あなたはこの日、星の導きによって
御ひとり子を諸国の民に示されました。
信仰の光によって歩むわたしたちを、
あなたの顔を仰ぎ見る日まで導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

1月5日 降誕節 (ヨハ1,43-51)

「フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』するとナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、フィリポは、『来て、見なさい』と言った。」ヨハ1,45-46

メシアがナザレから出るはずがないと思ったナタナエルは、自分の疑問を乗り越えて、行ってみて、イエスと直接に出会ってから、イエスが約束されたメシアであることを知ったのです。

私たちはナタナエルのように、必要に応じて、自分の考え方や期待、さらに生き方まで変える覚悟の、開かれた心を持って、いろいろな出来事においてイエス・キリストと出会い、イエスをますます深く知り、ますます強く愛するようになることによって、イエスと同じ姿に変えられますように祈りましょう。

神よ、光を注ぎ、御子の栄光の輝きで、
信じる民の心を照らしてください。
救い主を信じ、
そのいのちにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。