聖金曜日 (ヨハ18,1-19.42)

「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、『見よ、あなたたちの王だ』と言うと、彼らは叫んだ。『殺せ。殺せ。十字架につけろ。』ピラトが、『あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか』と言うと、祭司長たちは、『わたしたちには、皇帝のほかに王はありません』と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」ヨハ 19,14-16

イエス・キリストは、父である神に遣わされて、人間が幸せに生きるために絶対に必要としている愛、神ご自身の愛、永遠の愛を私たちのもとに持って来てくださいました。しかし、人々は、イエスを大きな喜びと感謝のうちに迎え入れる代わりに、イエスを十字架につけて、イエスと共にイエスが持って来てくださった愛を滅ぼそうとしたのです。これ以上に愚かなことがあるでしょうか。

残念ながら、この悲しい出来事は、人類の歴史において一回限りのものではありません。私たちが与えられた愛を何の価値もない利益や一時的な快楽のために利用しているとき、また、この愛を傷つけ、無駄にしてしまうとき、キリストとその愛が、2000年前と同じように十字架に付けられているのです。

人類は、犯してきた過ちから何も学ばないのでしょうか。そんな愚かな人間には、一体、心の望みが満たされる希望、完全に幸せになる希望があるのでしょうか。

全能、永遠の神よ、
御独り子キリストの受難によって、
あなたはすべての人に及ぶ死の遺産を打ち砕いてくださいました。
罪の重荷を負うわたしたちが、恵みによって聖とされ、
キリストに結ばれて新しい人となりますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

聖木曜日 (ヨハ13,1-15)

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」ヨハ13,15

最後の晩餐の時点で、ペトロは、イエスの教えもイエスの行いもまだよく分かりませんでしたし、イエスを十分に愛していなかったがゆえに、イエスに最後までついて行くことができませんでした。確かに、ペトロはいろいろな意味で弱くて、不完全な人間でしたが、イエスが言われた通りに、ペトロは心からイエスの愛に応えたいと望んでいたのです。そのためイエスは、ペトロがいつか必ずイエスの教えや行いを理解することができるようになり、イエスご自身が歩んだ愛の道、つまり、いつくしみ深い父である神のもとへと導く道を歩めるようになり、多くの人々をこの道に導くようになるという確信を持っておられたのです。

私たちは、自分の限界を認識しながらも、ペトロの姿に励まされ、自分自身に対して忍耐を持って、イエスから学んだことを実践することによって、ますます力強く愛の道を歩み、完全な愛に辿り着くことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたのひとり子は死に向かわれる夜、
食事をともにして、
新しいいけにえ、愛のうたげを教会におゆだになりました。
この晩さんの偉大な神秘にあずかるわたしたちが、
キリストの愛を受け、生きる喜びに満たされますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の水曜日 (マタ26,14-25)

「イエスはお答えになった。『わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」マタ26,23-24

人間は、愛に生きるために創造された存在ですので、愛に生きるときだけ人間らしい生活を送りますし、完全な愛が人間にとって最高の幸福なのです。この事実は、人間の心に深く刻まれているがゆえに、それをはっきりと意識しなくても、誰でも愛を求めて、それを絶えず探しているのです。けれども、愛を見つけても、それに忠実に生きる代わりに、イスカリオテのユダのようにそれを裏切り、自分の快楽や他の利益のためにこの愛を利用しようとしている人は、不幸ですし、回心しなければ、正にイエスが語っておられる通りに、「生まれなかった方が、その者のためによかった」ことになるのです。

私たちは、与えられている愛に忠実に生きることによって成長し、この愛を出会う人と分かち合うことができますように祈りましょう。

神よ、
あなたはわたしたちを悪の力から救い出すために、
独り子が十字架にかけられることをお望みになりました。
御子の復活の恵みにわたしたちをあずからせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の火曜日 (ヨハ13,21-33.36-38)

「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』」ヨハ13,21

十二人の弟子たちが元々イエスに従ったのは、自分の利益を求めたからです。その内十一人の弟子たちは、イエスを知れば知るほどイエスを深く愛するようになり、イエスに従う動機を変えて、イエスから与えられた使命を果たすことによって、想像した以上に豊かな人生を送ることができましたし、その生き方によって数え切れないほど多くの人の人生を、豊かなものにすることができたのです。けれども、自分の動機を変えられなかったイスカリオテのユダは、イエスを裏切って、イエスを殺そうとした人々の手に彼を引き渡しただけではなく、自分自身も滅ぼしてしまったのです。

私たちが、イエスに従う自分の動機を認識することができますように。そして、必要に応じてそれを正すことによって、神の子ども、イエスの弟子として、ますます誠実に生きることができますように祈りましょう。

全能、永遠の神よ、
主キリストの受難の神秘を記念するわたしたちが、
罪の赦しを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の月曜日 (ヨハ12,1-11)

「イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。」ヨハ 12,2

命をはじめ、すべてのものの与え主である神は、人間から何も必要とされておられませんが、ただ私たちの愛だけを求めておられるのです。

私たちは、ラザロ、マルタとマリアに倣って、イエスと共に食卓を囲み、イエスに奉仕し、私たちの最も大切なものをイエスにささげることによって、イエスに対する愛を表すことができますように。そして、ますます深い愛の交わりのうちに生きながら、日常生活において出会う人に神ご自身の愛を現すことによって、多くの人々を父である神のもとに導くことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
弱さのうちに倒れてしまうわたしたちを顧み、
独り子の受難の力によって強め、
立ち上がらせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5土曜日 (ヨハ11,45-56)

「そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。』」ヨハ11,47

もし、イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持っていた人々と同じように、ご自分の命を最優先にしていたならば、イエスの命を狙う人がどれほど大きな権力を持っていても、その狙いを適えることはできませんでした。イエスを殺害する計画を立てた人たちがその計画を実現することができたのは、イエス・キリストがご自分自身を彼らの手に引き渡したから、また、すべての人を罪の束縛から解放するためにご自分の命を全く自由に奉献してくださったからです。

明日から始まる聖週間の典礼に参加し、この地上でのイエスの最後の数日間を記念し、それを想起することによって、イエスの愛の偉大さを一層強く実感し、信仰、信頼と愛の絆によってイエスと一層固く結ばれ、どんな状況においてもイエスに忠実に従うことによってイエスの愛に応え、それを他の多くの人々に現すことができますように祈りましょう。

救いの源である神よ、
聖週間を迎える今、あなたの民に豊かな恵みを注いでください。
洗礼の恵みを受けたわたしたちが、
洗礼志願者とともに、選ばれた民として主の過越に近づき、
その喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5金曜日 (ヨハ10,31-42)

「父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」ヨハ10,36-38

イエス・キリストは、人々に受け入れられたときだけではなく、誤解されたときにも、迫害され、苦しめられ、十字架につけられたときにも、神の子の身分に忠実に生きたことによって、メシアに関する旧約のすべての預言を実現されて、ご自分が語られた通りに神の子であることを証明されたと同時に、父である神から与えられた使命を果たし、救いのわざをなしとげてくださったのです。

この救いの恵みにあずかり、神の子となった人々が、イエス・キリストと同じように、どんな状況においてもこの身分に忠実に生き、神の栄光を現し、できるだけ多くの人々をキリストのもとに、また、キリストを通して父である神のもとに、導くことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
あなたの民の過ちをゆるしてください。
弱さのために犯した罪の束縛からわたしたちが解放されますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5木曜日 (ヨハ8,51-59)

「ユダヤ人たちは言った。『あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない」と言う。わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。』」ヨハ8,52-53

イエス・キリストは、偉大な人物であっただけではなく、また、偉大な預言者でもあっただけではなく、ご自分自身が宣言された通りに、神の御ひとり子で、人間になられた神ご自身でもあったと認めるときだけ、イエスが語った言葉、特にイエスを信じる人が「死んでも生きる」という言葉は、その人に大きな希望をもたらし、イエスと同じように愛に生きる力の源になるのです。

ますます多くの人々が、ご自分において神性と人間性を繋げておられるイエスを信じ、イエスの言葉にとどまることによってイエスと一つになることができますように。そして、イエスによって父である神と一つになって、三位一体の神の愛と命にあずかって永遠に生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
わたしたちの祈りに耳を傾け、
あなたに希望を置く者を守ってください。
罪から清められ、恵みのうちに歩み、
約束された国に入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5水曜日 (ヨハ8,31-42)

「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。』」ヨハ 8,34-35

人間は、愛を実践することによって、その愛の対象となっている人格(ペルソナ)との絆を強めますが、罪を犯すことによって、その罪の対象となっているものとの絆をも強めるのです。但し、愛の絆を強めることによって人は、自分の心の望みに従うためにますます自由になりますが、罪の絆を強めることによってその自由を段々と失い、自分の心の望みに従うことができなくなっていくのです。

私たちは、イエスに対する愛に生きることによって、イエスとの絆をますます強めながら、罪を犯す機会を避けたり、誘惑を退けたりすることによって、今まで犯した罪によって生じた不健全な絆を少しずつ弱め、完全に無くすことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
回心に励む者の心を清め、照らしてください。
いつも信頼を込めて祈り、
喜びのうちにあなたに仕えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。