11月20日 年間第33月曜日 (ルカ18,35-43)

「先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。」ルカ18,39-41

真理を知ることのできる理性を持つ人間にとって、真理は興味深くて、魅力的なもので、価値の高いものですが、同時に真理は、人間の間違った考え方や幻想を破壊しますし、間違った生き方を変えることを要求します。考え方や生き方の変更には、必ずと言っていいほど苦しみが伴いますので、この苦しみを避けるために、自分自身についての真理も、他人や世界全体、また、神についての真理も知らないまま生きることを選ぶ人、つまり、暗闇に留まることを選ぶ人が少なくないようです。

「真理があなたを自由にする」と教えてくださったキリストに信頼して、苦しくても真理を知り、真理を受け入れることができますように。そして、真理に基づいた生き方によって、他の人のために光となることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月18日 年間第32土曜日 (ルカ18,1-8)

「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」ルカ18,7-8

神が人のために裁きを行うとは、この人を悪から守るということです。実は、父である神は、イエス・キリストによって私たちの罪をあがない、罪の結果である死を滅ぼしてくださったので、もうすでに、私たちのために裁きを行ってくださったわけです。今は、キリストの勝利にあずかるように、父である神は一人ひとりを招いてくださいます。

私たちは、神の招きに応えて、愛と信仰によってイエス・キリストと結ばれますように、そして、イエスと共に生きることによって、この招きを多くの人に伝えることができますように祈りましょう。

11月17日 年間第32金曜日 (ルカ17,26-37)

「自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」ルカ17,33-35

同じところで暮らしても、同じような仕事をしても、人の心の状態や動機によって結果は全く異なります。自分のためにだけ生き、自分のためにだけ働く人は、他の人からも神からも離れて、永遠の孤独と自分の滅びに向かっていますが、自分以外の誰かのために生き、誰かのために働く人は、他の人との繋がりも神との繋がりも深めて、救いに向かって生きているのです。

私たちは、イエス・キリストの模範に励まされて、その教えを信頼することによって、自分のためだけではなく、他の人のためにも生きることができますように祈りましょう。

11月16日 年間第32木曜日 (ルカ17,20-25)

 「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」ルカ17,21

神の国が私たちの間にあるというのは、私たちがどんな現実においても、どんな環境に生きていても、そこで、イエスに出会うことができますし、イエスを通して父である神との愛の交わりのうちに生きることができるということなのです。

私たちは、霊的な成長のための理想的な環境を探求したりするのではなく、現在生きている場所で、信仰の目でイエス・キリストの現存を見出し、イエスと共に生きることによって、この場所をより良いものにすることができますように祈りましょう。

 

11月15日 年間第32水曜日 (ルカ17,11-19)

「イエスは言われた。『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』」ルカ17,17-18

私たちのすべての良い体験は、すべての良いものの与え主である神の賜物ですが、イエスに癒していただいても感謝しなかった9人と同じように、多くの人々はこの賜物を頂いても、それを神の賜物として認めず、ただ「運が良かった」とか、「自分がよくやった」などと思ったりするようです。

私たちが頂く良いものが神の賜物であるという事実を認めることによって、この賜物を通して神の愛を知ることができますように。そして、この賜物を神に感謝することによって、神との関わりを深めることができますように祈りましょう。

 

11月14日 年間第32火曜日 (ルカ17,7-10)

「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」ルカ 17,10

すべてのものの創り主であり、全能で完全な方である神は、人間から何も必要としていません。逆に神は、私たちを生かし、支え、絶えず私たちのために働いてくださっているのです。その意味で、人間が神に仕えるというよりも、神が人間に仕えてくださるということが言えると思います。

私たちは、父である神がご自分の働きによって表してくださる愛に感謝しながら、神の呼びかけに応えて、神の言葉に従って生きることによって、神に対する私たちの愛を表し、自分たちを神にささげることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたを深く愛する心をお与えください。
すべてにおいてあなたを愛し、
人の思いをはるかに越えたしあわせに
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月13日 年間第32月曜日 (ルカ17,1-6)

「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。」ルカ17,3

罪は、それを犯した人にだけではなく、周りにいる人々にも害を与えます。なかには、罪を犯してしまうよりも、この罪を犯そうとする人が死んだ方がましと言えるほど大きな害を与える罪もあるでしょうが、父である神は、この人の死ではなく、回心することと、ご自分との交わりにもどることを求めておられるのです。

私たちは、私たちが回心する希望を持って、いつも私たちの罪や過ちをゆるし、愛し続けてくださる神に感謝しながら、他の人々との接し方によって、父である神のいつくしみ深い愛を証しすることができますように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月11日 年間第31土曜日 (ルカ16,9-15)

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。」ルカ16,10

命、体、様々な能力をはじめ、持っているすべてのものは、この宇宙万物を創造してくださった神の賜物なのです。人間が与え主の意向に従ってこの賜物を管理するならば、成長して、段々と人生の目的に近づきますが、それをただ自分の欲望を満たすために使うならば、段々と自由を失い、被造物の奴隷になり、結果的には堕落してしまうのです。

私たちに素晴らしい賜物を与えてくださった神に感謝しながら、それを父である神の計画に沿って用いることによって、多くの人々が生かされ、また自分たちも生かされますように祈りましょう。

わたしたちの神である父よ、
心を尽くしてあなたに仕え、
すべての人を愛する恵みをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月10日 年間第31金曜日 (ルカ16,1-8)

「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」ルカ16,8

キリスト者の生活において、父である神に信頼することと、すべてを神にゆだねることが何よりも大事なことですが、それは神にすべての仕事を任せて、自分で何もしないで、ただすべてを神にしてもらうのを待つことではなく、どんな状況においても神の導きを探し求め、与えられた才能、能力や他の力を尽くしてこの導きに従うこと、つまり安心して、自分にできることややるべきことを、全力を尽くして努力するということなのです。

私たちは、イエス・キリストと同じように、いつも父である神に信頼しながら力を発揮して、父である神から与えられた様々な富の、良い管理人になることができますように祈りましょう。

11月8日 年間第31水曜日 (ルカ14,25-33)

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。『もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。』」ルカ14,25-27

イエスの弟子であるとは、イエスと同じようにどんな状況においても、どんな人と接するときにも、愛を基準にして生きることを求めて、イエスとの関係を深めながら、イエスの導きに従って生きる者であることなのです。

私たちは、誰よりも何よりもイエス・キリストを強く愛するようになり、イエスを信頼し、頼りにすることによって、あらゆる人を愛することができますように祈りましょう。