復活節第4主日A年 (ヨハ10,1-10)

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」ヨハ10,3-5

イエス・キリストが私たちの羊飼いであるとは、私たちを永遠の命の泉、つまり、私たちの創造主であり、父である神のもとへと導いてくださるということなのです。羊飼いの一つの特徴は、他の動物の飼い主のように、飼っている動物を縛ったり、引っ張ったり、突き棒で突いたりせず、羊の群れの先頭に立つことです。このような羊飼いの特徴は、イエスが私たちの羊飼いであるという象徴的な言い方に、特別な意味を持たせます。それは、イエスが私たちの自由意志を尊重しておられるがゆえに、私たちを導くにあたって、私たちを強いたり無理させたりするようなことを、絶対になさらないということなのです。私たちは、従いたいときにだけ、自由にイエスに従い、また、従いたくないときには、従わないという選択も可能です。

けれども、実際にイエスに従いたいときに一つ大きな問題があります。それは何かというと、私たちの善を求めておられるイエスだけではなく、私たちの不幸を求めている人や私たちを利用しようとしている人々も、私たちに呼びかけているということなのです。このような雑音の中でイエスに従うためには、イエスの呼びかけを識別する必要があります。そして、この識別を正しくできるためには、イエスの声をよく知らなければならないのです。

どのようにすれば、イエスの声を知ることができるのでしょうか。イエス・キリストは、神の言葉です。ですから神の言葉である聖書を読むこと、聖書の言葉に耳を傾けることによって、イエスの声を知ることができるはずです。けれども、聖書を読んでも、間違った解釈に基づいて、間違った結論を出す危険性、つまり、聖書の作者である聖霊の意向と同時に、聖霊と一致しておられるイエスの意向に、逆らうような結論を出す恐れがあります。その場合は、イエスの声を知っていると思い込んで、イエスの声に聞き従うつもりであっても、実際には強盗に従う危険性があるのです。

このような危険性を避けるために、聖書を読むときには、聖霊によって生かされているイエスの体である、教会の正式的な教えを基準にする必要があります。もし自分の結論が、教会の教えに反するようなものであるならば、間違っているのは教会ではなく、自分自身であるということを素直に認めて、自分の結論を手放さなければなりません。このような意味での謙虚な心を持って聖書を読むときだけ、イエス・キリストの真の声を知り、日常生活においてそれを識別し、安心して従うことができるのです。

全能永遠の神よ、よい牧者キリストは、
わたしたちのためにいのちをささげてくださいました。
キリストの声に従うわたしたちがあなたの国に導かれ、
聖人とともに喜びを分かつことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。