2月2日-2月8日(6週)

2日(日)主の奉献(祝)

3日(月)福者ユスト高山右近(記)、

   (聖ブラジオ司教殉教者、聖アンスガリオ司教)

4日(火)年間第4火曜日

5日(水)日本26聖人殉教者(祝)

6日(木)聖アガタおとめ殉教者(記)

7日(金)年間第4金曜日

8日(土)年間第4土曜日        

    (聖ヒエロニモ・エミリアニ、聖ジュゼッピーナ・バキータおとめ)

2月5日 日本26聖人殉教者 (マタ28,16-20)

「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。』」マタ28,18

ご自分の死と復活によって死に打ち勝ち、「天と地の一切の権能を授かっている」イエス・キリストが与えてくださった、復活と永遠の命の約束は、それを信じる人々に、あらゆる悪や苦しみがもたらす恐れよりも大きな希望、しかも、この世に限らずに、死を超えて永遠に至る希望をもたらすのです。

日本26聖人殉教者の模範と取り次ぎの祈りによって支えられ、イエスの約束がもたらす希望に強められて、どんな状況においてもイエス・キリストに忠実に従い、与えられた使命を果たすことによって、多くの人々をイエスのもとに導き、共に神の愛のうちに永遠に生きることができますように祈りましょう。

信じる者の力である神よ、あなたは日本 26 聖人を、 
十字架の死を通して永遠のいのちにお召しになりました。 
この殉教者の取次ぎを願うわたしたちが、 
死に至るまで力強くあかしすることができますように。 
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、 
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

1月19日-1月25日(週)

19日(日)年間第2主日

20日(月)年間第2月曜日

  (聖ファビアノ教皇殉教者、聖セバスチアノ殉教者)

21日(火)聖アグネスおとめ殉教者(記)

22日(水)年間第2水曜日

  (聖ビンセンチオ助祭殉教者)

23日(木)年間第2木曜日

24日(金)聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)

25日(土)聖パウロの回心(祝)

年間第2主日A年 (ヨハ1,29-34)

「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。」ヨハ1,33

洗礼者ヨハネは自分の使命を果たしてイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」として紹介しました。この言葉は、救い主であるイエス自身の使命を表します。イエス・キリストが神によってこの世に遣わされたのは、すべての人々の罪を贖い、それを取り除くためなのです。これこそ福音、「喜ばしい知らせ」ですが、それを聞いても、全然喜ばない人が、特に現代は非常に大勢いるようです。おそらく、この人たちは、別にそれ程悪いことをしていないし、他の多くの人よりも良い人間ですので、罪を取り除く救い主を全く必要としていないと考えているのではないかと思います。

けれども、罪を取り除く救い主を必要としているのは、強盗や殺人などのような犯罪を犯したりする人だけなのでしょうか。このことが分かるためには、イエスの使命を描く洗礼者ヨハネが神から言われた言葉の意味、つまり、「その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」という言葉の意味を理解する必要があります。

誰かに聖霊によって洗礼を授けるというのは、この人を神の愛と神の命にあずからせることですので、イエスが取り除く罪とは、犯罪のことではなく、愛と命の源である神から離れて生きている状態のことなのです。したがって、罪を取り除くということは、神から離れて生きている人を神のもとに導くこと、神と和解させ、神との正しい関係をつくることなのです。

人間は、愛と命の源である神との正しい関係に入らない限り、いろいろな恐れや心配、また、執着や心の傷などによって左右されるし、愛に生きることができませんので、たとえ何の犯罪も犯したことがなくても、自分の心の最も深い望みに従って真の愛に生きることのできない人こそ、罪を取り除く救い主、すなわち、イエス・キリストを必要としているわけです。

天地万物を治められる神よ、
あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
世界に平和への道を示してください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主
イエス・キリストによって。アーメン。

 

主の洗礼(A年) (マタ3,13-17)

「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」マタ3,15

人類の歴史、特にイスラエル人の歴史が示している通りに、人間は、自分の力だけでは神の愛に愛を以て応えることができないのです。結果として、人間は神との一致という自分の存在の目的に達することができないわけです。 神が御ひとり子をそのような人々のところにお遣わしになったのは、彼が人間になって、つまり人間性を受け入れることによってすべての人と結ばれ、全人類の名によって、罪の暗闇の中から神の愛に愛を以て応えるためなのです。これによって神と人類との間の和解が実現されること、つまり永遠に続く新しい契約が結ばれることが、計画されていたのです。

同時にイエスが、神の愛に忠実に生きることによって、あらゆる罪を赦すことのできる神の愛、また、人間をあらゆる罪の奴隷状態から解放することのできる神の愛を、すべての人々に現すことを神は望まれましたので、イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けた瞬間は、神がイエスを罪人の手に引き渡す瞬間でもあったと言えます。

イエスにとって洗礼を受けることは、この使命を果たすために、全人類の罪の結果を受け入れなければならないということ、それから預言者イザヤが預言した通りに、罪人の手の中に苦しむ僕(しもべ)にならなければならないということを、はっきりと意識しながらこの使命を受け入れる瞬間であったとも言えるのです。この意味で水の洗礼は、血の洗礼、つまり十字架の死を先取りしているわけです。

イエスがご自分の命を掛けて成し遂げてくださった救いの業を感謝し、イエスが現わしてくださった神の愛に信頼しながら、イエスの模範と助けに支えられて、父である神から与えられた使命を果たすことによって、神の心に適う人となり、神の愛と命にあずかることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。