8月22日 年間第20火曜日 (マタ19,23-30)

「イエスは弟子たちに言われた。『はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言った。イエスは彼らを見つめて、『それは人間にできることではないが、神は何でもできる』と言われた。」マタ19,23-26

救いは、人間の努力の結果ではなく、神が無償で下さる賜物ですので、それを手に入れるために必要なのは、ただそれを神の手からいただくことだけなのです。それは、自分が子どものように無力で、生きるために他の人に頼らなければならないと考えている人にとって、良い知らせでしょうが、財産をはじめ、いろいろな才能、学歴や権力などのような力を持っていて、それに頼って生きている人にとっては、大きな問題になる恐れがあります。なぜなら、自分が努力すれば、欲しいものを何でも手に入れることができるので、他者の憐みを要らないと思う意味で傲慢になっている人にとって、無償の救いを受け入れることは、非常に難しいことになり得るからです。

私たちは、多くのものを勝ち取る力があっても、自分の努力だけでは救いを得ることができないという事実を素直に認めて、この救いをいつくしみ深い父である神の手から、無償の恵みとして受け入れることができますように。そして、与えられたあらゆる力と救いの恵みを他の人と分かち合うことによって、感謝の念を表すことができますように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月21日 年間第20月曜日 (マタ19,16-22)

「イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」マタ19,21

存在しているあらゆるものは、父である神が創造してくださったものですので、私たちの持ち物は決して悪いものではありません。問題なのは、私たちがこのものを与え主の意向に逆らうやり方で用いること、特に、神よりもそれに頼って、それに執着することなのです。

私たちは、持っているものを父である神の意向に従って用いることによって、この賜物がすべての良い物の与え主の望み通りの実りを生み出し、私たちも周りにいる多くの人々も、この実りによって養われ、永遠の命に向かって歩むことができますように祈りましょう。

8月19日 年間第19土曜日 (マタ19,13-15)

「イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』」マタ19,14

地上の両親は、自分の子どものために時間がないことがあれば、いろいろな口実を設けて、自分の子どもを相手にしないことや子どもの話さえも聞いてあげないこともありますが、イエス・キリストが子どもに対するご自分の態度によって示してくださったとおりに、天の父は、ご自分の子どものためにいつも時間がありますし、ご自分の子どもをいつでも受け入れて、祝福してくださるのです。

私たちはイエスの教えと、神の子としてのイエスの模範に励まされて、いつも安心して父である神に近づき、心を開いて神の祝福を受け、どんな状況においても、父である神との親しい交わりのうちに生きることができますように祈りましょう。

8月20日 年間第20主日A年 (マタ15,21-28)

「そこで、イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた。」マタ15,28

イエスの当時のユダヤ人たちは、異邦人たちがけがれた者で、神に近づくのに相応しくないし、祝福や恵みを願う権利もないと思っていました。けれども、考えてみれば実際に、完全に清い、つまり罪のない者で、神に近づくのに相応しくて、神から祝福や恵みを頂く権利のある人は、ユダヤ人を含めて誰一人としていないのです。

「婦人よ」と呼ばれた「カナンの女」は、自分の身分をはっきりと意識していたようです。なぜなら、彼女の立場をはっきりと表すイエスの言葉を侮辱として受け入れずに、何の権利もない人間として、ただイエスのいつくしみだけを頼りにして、愛する娘のために、謙虚にしかも忍耐強く、イエスの助けを願い続けたからです。

私たちは、命と愛の源であると同時に、永遠に続く最高の幸福の源である神に近づきたいならば、この女性と同じように、無限で絶対的な存在である神、宇宙万物の創造主であり、全世界の支配者である神の前での自分の身分、つまり、有限な存在で、被造物であること、自分がどれだけ小さくて、どれだけいやしいものであるかということを、はっきりと意識する必要があります。と同時に、神は、神と比較すれば無に等しい存在である私たちを、ご自分の子どもにしてくださったほどに、私たちを愛してくださる父であるということを忘れてはならないのです。

私たちは、畏れながらも大胆に、安心して、天におられる私たちの父である神に近づくことができますように。そして、いつも神との親しい交わりと神の祝福のうちに生きることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたを深く愛する心をお与えください。
すべてにおいてあなたを愛し、
人の思いをはるかに越えたしあわせに
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

8月18日 年間第19金曜日 (マタ19,3-12)

「イエスは言われた。『あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。』」マタ19,8

創造主である神は、誰よりも人間のこと、例えば人間の心の状態とか、人間の力と弱さ、また、人間にとって最も必要なものは何であるか、人間にとっての最善とは何であるかということを知っておられますし、人間の幸福を求めておられますので、神の言葉は、一人ひとりのために最高の幸福への最も相応しい道を示すものであるのです。

モーセが示したような、より楽な道を示す人ではなく、私たちを愛しておられる父である神を信頼して、神が示してくださる道はどんなに難しそうで、選ぶのは無理に見えても、この道を選び、神の助けによって支えられながら、この道を歩むことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月17日 年間第19木曜日 (マタ18,21-19,1)

「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」マタ18,33

父である神に罪をゆるしていただくとは、神との親しい交わりに受け入れられて、神と和解し、再び神との正しい関係に生きるようになるということですので、私たちは、神のゆるしを本当に受けたかどうかということを、他の人に対する、特に自分に対して悪いことをした人に対する、自分の態度を見ることによって確認することができるのです。

私たちは、罪を犯すことがあっても、いつも心を開き、神のゆるしを受けることによって、常に神との正しい関係に生き、他の人をゆるすことをはじめ、愛の実践を行うことができますように祈りましょう。

 

8月16日 年間第19水曜日 (マタ18,15-20)

「それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。」マタ18,17

罪を犯すことによって神との正しい関係を失ったすべての人々と和解するために、神はイエス・キリストにおいて人となって、人間に近づき、さらにご自分の命をささげることによって、すべての罪をあがなってくださいました。それにもかかわらず、まだまだ多くの人々が神との和解を拒否しているのです。もし、神ご自身の和解のための働きと和解への呼びかけを無視する人がいるならば、なおさら私たちの和解のための働きと和解への招きを無視する人がいても不思議ではないでしょう。けれども、私たちのゆるしと和解のための働きが加害者によって無駄にされたとしても、それは必ず私たち自身の心のいやしと愛における成長を促進しますので、決して無駄な努力ではないのです。

イエス・キリストがもたらしてくださった、神ご自身のいつくしみ深い愛に強められて、他の人のあらゆるとがをゆるし、和解のために全力を尽くすことができますように祈りましょう。

 

8月15日 聖母の被昇天 (ルカ1,39-56)

「エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」ルカ1,41-45

キリスト者として生きるとは、死によって破壊された私たちの体が復活し、私たちの不滅の霊魂と再び結合することによって、私たちは、自分自身の自己同一性を保ちながら、神との完全な愛の交わりの内に、イエス・キリストと救われたすべての人々と共に、永遠に生きるという希望を以て生きるということです。マリアが霊魂も肉体もともに天に上げられたことの記念である「聖母の被昇天」の祭日は、私たちにこの希望を思い起こさせ、強めます。

マリアは、ガリラヤのカナで、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハ 2,5)と言われただけではなく、自らもこのように生きていて、イエスの母親のみならず、イエスに最も忠実に従う、イエスの弟子でもありました。こうして、マリアは、復活と永遠の命についての私たちの希望を思い起こさせてくださるだけではなく、ご自分の生き方を以てこの目的への道をも示してくださるのです。

マリアは、神が誠実な方であると同時に、いつくしみ深い方でもあると信じたからこそ、大きな希望と愛に満たされて、イエスに忠実に従うことができたわけですから、私たちも、誠実で、いつくしみ深い父である神に信頼して、イエス・キリストに忠実に従うことによって、できるだけ多くの人々に神の愛を示し、復活と永遠の命への希望を分かち合いながら、神との完全な愛の交わりに向かって歩むことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたは、御ひとり子の母、
汚れのないおとめマリアを、
からだも魂も、ともに
天の栄光に上げられました。
信じる民がいつも天の国を求め、
聖母とともに
永遠の喜びに入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月14日 年間第19月曜日 (マタ17,22-27)

「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。『人の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。』弟子たちは非常に悲しんだ。」マタ17,22-23

父である神は、命を与えてくださる方であり、生きているすべてのものを支え、生きるために必要なものを与えてくださる方であります。イエス・キリストが示してくださったように、神の子どもとして生きるというのは、特別扱いされるのを期待することなく、全力を尽くして、必要に応じて自分の命をかけて、神の働きに参加することなのです。

洗礼を受けて神の子どもとなった私たちは、御ひとり子であるイエス・キリストに倣って、持っているものや才能をはじめ、自分の人生全体を、父である神の働きに協力するために用いることができますように祈りましょう。

8月12日 年間第18土曜日 (マタ17,14-20)

「イエスは言われた。『信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。』」マタ17,20

神が存在しておられるという確信を持つ意味での信仰は、いくら強くても、あまり力にはなりませんが、全能の神が私を愛しておられるがゆえに私の味方であり、いつも共にいてくださって、あらゆる悪から私を守ってくださるという確信を持つ意味での信仰は、小さくても大きな力になるのです。

私たちはいつくしみ深い父である神に信頼して、どんな状況においても、どんなに大きな妨げに逢っても、安心して、神が示してくださる道を歩むことができますように祈りましょう。