年間第20主日C年 (ルカ12,49-53)

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」ルカ12,49

イエス・キリストが地上に投ずる火とは、愛の火なのです。イエスは、自分自身が、父である神とすべての人々に対する愛の火で燃えたように、一人ひとりの人にも燃えるようになることを求めておられるのです。この望みを実現し、すべての人々の心の中で愛の火を起こすために、ご自分の言葉と行いによって神ご自身の愛を現してくださったのです。十字架上の死は、神の愛の一番完全な表現となりましたが、イエスは、大きな知恵を以って神の愛を宣言したり、大きな力を以って人々を助けたりしたときに、多くの人がイエスに従っていましたが、イエスが逮捕されたときには、一番親しい弟子たちですら自分たちの命を守るためにイエスから離れました。そして、イエスに従って来た群衆自身が、イエスの死刑を求めるようになったのです。

弟子たちがイエスから離れ、群衆がイエスに対して敵意を持つようになったのは、自分たちの利益を求めただけで、彼らの心の中では愛が燃えていなかったからでしょう。おそらく、イエスにとっては肉体的な苦しみよりも、ご自分を通して神の愛を体験した人々のこのような心の状態の方が、大きな苦しみをもたらしたのではないかと思います。

幸いに、弟子たちの裏切りも、群衆の敵意も、権力者の不正や苦しい受難と十字架上の死も、イエスの愛を滅ぼすことができませんでした。イエスは最後まで、父である神と例外なくすべての人々を愛し抜かれたからこそ、救いのわざを成し遂げてくださったのです。

この救いのわざの一番大きな実りとは、聖霊、つまり神ご自身の人格的な愛の派遣でした。使徒たちは、五旬祭の日に聖霊を受けてから、イエスの望み通りに、愛の火で燃えるようになって、命をかけてキリストを証しすることによって、全世界に愛の火を投ずるようになったのです。

現在の人も心を開けば、イエス・キリストが遣わしてくださった聖霊を受けることによって、愛の火で燃えるようになれます。確かに、この愛の火は、人の心を温め、人生を照らすから、大きな喜びと平和をもたらしますが、同時に、この人の心の中にある罪や悪い癖、不健全な執着などが愛の火で燃え尽くされますし、場合によって、この愛に忠実に生きるために他の苦しみをも受ける必要があるかもしれません。ですから、愛の火を受け入れるために、愛を求めることだけではなく、イエスに対する信頼が必要です。要するに、私たちは、愛の火に燃えつくされるのではなく、清められるという確信、また、結果的にキリストの姿に造り替えられ、完成させられるという確信も必要なのです。

いつくしみ深い父よ、
あなたを深く愛する心をお与えください。
すべてにおいてあなたを愛し、
人の思いをはるかに越えたしあわせに
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月11日-8月17日(33週)

11日(日)年間第19主日

12日(月)年間第19月曜日

(聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタル修道女)

13日(火)年間第19火曜日

(聖ポンチアノ教皇 聖ヒッポリト司祭殉教者)

14日(水)聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者 (記)

15日(木)聖母の被昇天(祭)

16日(金)年間第19金曜日

(聖ステファノ ( ハンガリー) )

17日(土)年間第19土曜日

(聖母の土曜日)

年間第19主日C年 (ルカ12,32-48) 

「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」ルカ12,34

自分の富とは何か、つまり自分が何を一番大切にしているかと問われたら、いろいろな答え、もしかして、尋ねる人によって、また、場所や状況によって異なる答えを出すことでしょう。けれども、自分にとって本当に何が大事であるかということを知るためには、頭で考えるよりも、自分が実際に何のために、また、誰のために一番長い時間とか、一番大きなエネルギーとか、一番沢山のお金などをかけているかということを、見る必要があると思います。

昔の人や現代の多くの人にとって最も大切なのは、実はイエス・キリストとの関係なのです。けれども、誰かがイエスとの関係を一番大切にするからと言って、他の人との関係を軽んじるということではありません。イエス・キリストとの真の愛の交わりの内に生きている人は、イエス・キリストご自身と同じように、自分に対しても他の人に対しても、また、仕事や他のものに対しても、正しい態度をとることができます。言い換えれば、イエスとの関係が自分の最も大切な富になれば、他のあらゆる関係が癒されて、自然に正しくなるのです。

おそらく、自分の生き方を正直に見つめれば、大部分のキリスト者が自分たちにとって、イエス・キリストよりも大切なものがまだまだ沢山あるということに気が付くことでしょう。それを見ると、もしかしてキリスト者とは、イエス・キリストを誰よりも強く愛し、イエスとの関係を自分の命を含めて何よりも大切にしている人ではなく、むしろイエス・キリストを誰よりも強く愛したい、イエスとの関係を何よりも大切にしたいと求めている人なのではないかと思わせられるのです。

その望み自体は、大きな恵みです。もし、私たちがこの望みに従って生きるならば、つまり、聖書の読書を初めとして、与えられた機会を用いてイエスをもっと深く知るように努めることによって、また、イエスに対する愛がまだ小さくてもそれにできるだけ忠実に生き、それを実践することによって、それから、個人的な祈り、キリスト教の共同体の生活に肯定的に参加し、他のキリスト者と交わり、共に祈ることによってイエスとの交わりを深めようとするならば、イエス・キリストご自身が、私たちとの関係を完成してくださるに違いないと、私たち日リスト者は信じています。

さて、私たちはイエス・キリストとの交わりの完成を目指して、イエスから与えられた使命を果たし、イエスに最後まで従うことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
わたしたちは、
聖霊によってあなたの子どもとしていただきました。
あなたを父と呼ぶわたしたちを、
約束された永遠のいのちに導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

8月6日 主の変容C年 (ルカ9,28b-36)

「すると、『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。」ルカ9,35

神の子であり、神によって選ばれた者であるイエス・キリストは、完全で、最も魅力的な人間なのです。ですから、イエスの本当の姿を見る人は、必ずイエスに憧れて、イエスを愛するようになり、いつまでもイエスと一緒にいたいと望むようになると言っても言い過ぎではないでしょう。

ますます多くの人がイエスを知り、イエスを愛するようになるために、すでにイエスを愛している私たちは、イエスと共に生き、イエスに忠実に従うことによって、少しずつイエスのようになり、イエスの素晴らしさを現すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
御子キリストは栄光の姿のうちに現れ、
聖書のことばを通して、弟子たちに救いの神秘を説き、
神の子どもとなるすばらしさを示されました。
御ひとり子の声に従うわたしたちが、
キリストとともにあなたの国を継ぐものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月4日-8月10日(32週)

4日(日)年間第18主日

5日(月)年間第18月曜日

   (聖マリア教会の献堂)

6日(火)主の変容(祝)

7日(水)年間第18水曜日

   ( 聖シスト2世教皇と同志殉教者)、(聖カエタノ司祭 )

8日(木)聖ドミニコ司祭(記)

9日(金)年間第18金曜日

  (聖テレサ・ベネディクタ - 十字架の - おとめ殉教者 - エディット・シュタイン)

10日(土)聖ラウレンチオ助祭殉教者(祝)

 

 

年間第18主日C年 (ルカ12,13-21)

「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」ルカ12,20-21

昔も今も、非常に多くの人々が財産に希望を置きます。つまり、大きな財産を持っていれば、安心して、楽しく、快適に生きることができる、一言で言えば、幸せに生きることができると思っているということなのです。財産の所有が幸せになる絶対的な条件であると信じている人にとっては、財産を手に入れることが何よりも大事なことになりがちです。ですから、この人々は、財産を手に入れるために、家族や健康を初め、人生において大切である多くのものを犠牲にして、一生懸命に働くこともあれば、国が作成した法律だけではなく、神が与えてくださった掟をも破ったり、いろいろな人と競争したり争ったりして、知らない人だけではなく、友達も身内の人も騙したり、裏切ったりすることもあるのです。

それ程までに一生懸命努力すれば、求めた財産を手に入れることがありますが、この財産にかけた希望がかなえられるのでしょうか。

まず、人間は、愛に生きるために創造された存在ですので、全世界を手に入れても、心が愛に満たされていないならば、この人は決して幸せになれないのです。ですから、財産には、初めから人を幸せにする力がないのです。そして、もし、財産を得るために、人が以上のような犠牲を払ったり、人と神との正しい関係を失ったり、法律を破ったりするならば、幸福というよりも、大きな不幸を招くのです。

それから、死の問題もあります。人間は、いくら大きな財産を集めることができたとしても、必ず死にます。死ぬときには、頼みにしていた財産が奪われますので、この人の一生の努力は無駄になるわけです。

財産は、幸せになるための絶対的な条件ではありませんし、幸せを与えることができないだけではなく、幸せになることを妨げることもありますので、それを集めることを人生の目的にすることは、愚かなものです。

けれども、財産そのものは悪でもないし、幸せになるために役に立つ可能性もあります。その可能性を実現するために、大切なことを犠牲にすることなく、不正な方法によって財産を手に入れる誘惑を拒否しながら、正当な方法によって手に入れた財産を正しく用いること、つまり、自分の欲望を満たすためではなく、他の人を助けるため、神と人々との絆を深めるために財産を用いる必要があるのです。なぜなら、愛の絆だけが死を超えて永遠に続くものであり、幸福になる絶対的な条件であるからです。

すべてを治められる神よ、
あなたに祈り求める民を顧み、
尽きることのないいつくしみを注いでください。
あなたの似姿に造られた人々が救いの恵みを受け、
新しいいのちのうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

7月28日-8月3日(31週)

28日(日)年間第17主日

29日(月)聖マルタ(記)

30日(火)年間第17火曜日

  (聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士)

31日(水)聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 (記)

1日(木)聖アルフォンソ(リゴリ)司教教会博士(記)

2日(金)年間第17金曜日

 (聖エウセビオ -ベルチェリ- 司教)、
 (聖ペトロ・ユリアノ・エイマール司祭)

3日(土)年間第17土曜日

 (聖母の土曜日)