6月16日-6月22日(25週)

16日(日)三位一体の主日

17日(月)年間第11月曜日

18日(火)年間第11火曜日

19日(水)年間第11水曜日

(聖ロムアルド修道院長 )

20日(木)年間第11木曜日

21日(金)聖アロイジオ・ゴンザガ修道者(記)

22日(土)年間第11土曜日

(聖パウリノ – ノラ – 司教)、(聖ヨハネ・フィッシャー司教)、(聖トマス・モア殉教者)

三位一体の主日C年 (ヨハ16,12-15)

「(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」ヨハ16,14-15

神の内面的な命を現す三位一体の神秘は、人間による考察の結論ではなく、神ご自身がご自分を啓示することによって、人間に知らせたことなのです。

元々イスラエル人たちは、他の民族と同じように沢山の神々を信じていました。けれども、この民の歴史の中で特別な働きをされた神は、ご自分が唯一の神、全世界の創造主、つまり、あらゆる存在と命の源である父であることを知らせてくださいました。この世に来られた御ひとり子を通して神は、無条件に、また無限に私たちを愛しておられる救い主として、ご自分を現してくださいました。私たちを最後まで愛し、ご自分の命をささげることによって、ご自分の使命を果たして、御父のもとに戻られた御子は、御父の霊であり、また、ご自分の霊である聖霊を遣わしてくださいました。現在、聖霊は教会の中で、また、教会を通して働いて、イエス・キリストが成し遂げられた救いのわざを完成に導く方として、ご自分を現してくださっています。このように、救いの歴史の中で、神は、ご自分自身を唯一の神として、と同時に、御父と御子と聖霊という三つのお方(ペルソナ)として、啓示してくださったわけです。

三つの別々のペルソナが唯一の神であることは、確かに非常に大きな神秘であって、私たちの理解を超えるものですが、この神秘から少なくとも次のようなことが分かると思います。つまり、神は唯一の存在でありますが、孤独な存在ではないこと、また、ご自分のためにだけ生きておられるのではなく、他者のために、他のペルソナのために生きておられる方であるということなどです。聖ヨハネが書き記した通りに(1ヨハ4,16)、神は愛です。つまり神は、私たちを愛しておられる方であるのみならず、愛そのものなのです。ですから、三位一体の神秘は、実は、愛の神秘なのです。この神秘から、完全に愛し合う複数のペルソナは、一体になるほど完全に一致することが分かります。ですから、愛し合う人にとって、死によっても破られない絆となっている愛とは、それを完成させることによって、完全な一致をもたらすものであると言えるわけです。

聖なる父よ、
あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、
神のいのちの神秘を示してくださいました。
唯一の神を礼拝するわたしたちが、
三位の栄光をたたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イェスーキリストによって。アーメン。

 

6月11日 聖バルナバ使徒 (マタ10,7-13)

「(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」マタ10,13

イエス・キリストは、命をかけて救いのわざを成し遂げてくださいましたが、救いの恵みを全世界に広めることを、使徒たちをはじめ、救いの恵みを受けたすべての人々にゆだねてくださいました。私たちが、福音を知るようになって、今、救いの恵みにあずかることができるのは、2000年に渡って多くの人々が、イエスから与えられた使命を果たしてきたからです。
私たちがこの人たちを思い起こし、彼らの人生の賜物に感謝しながら、受け入れた恵みに忠実に生きることによって、ますます多くの人々に福音を伝えることができますように祈りましょう。

すべての人の父である神よ、
あなたは、異邦人の回心のために、
聖霊と信仰に満たされた聖バルナバをお選びになりました。
使徒の熱意と模範にならい、わたしたちも、キリストの福音を
ことばと行いを通して宣べ伝えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月10日 教会の母聖マリア (ヨハ19,25-34)

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」ヨハ 19:26-27

私たちは、自分のお母さんを選ぶことができませんが、御ひとり子は、人間になる前にご自分のお母さんとしてマリアをお選ばびになりました。マリアは、その使命を完全に果たしたからこそ、イエスは、マリアのもとで、成長し、完全な人間になられたのです。

イエス・キリストは、ご自分のためだけではなく、ご自分のからだである教会のため、つまり、この教会であるキリスト者一人ひとりのためにもマリアをお母さんとしてお選びになったのですから、私たちには、産みのお母さん以外に、もう一人お母さんがいることを常に意識し、マリアに守られながら、マリアの模範と導きに従って生きることによって、神の愛の内に成長して、完全な愛の交わりにたどり着くことができますように祈りましょう。

あわれみ深い父である神よ、
十字架につけられた御ひとり子は、
ご自分の母であるおとめ聖マリアを、
わたしたちの母として与えてくださいました。
マリアの愛に助けられ、あなたの教会が、
日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、
母としてすべての民の家族を迎え入れることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

聖霊降臨の主日C年 (ヨハ14,15-16.23b-26)

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」ヨハ14,15-16

イエス・キリストの霊を受ける人は、イエス・キリストと同じように愛に生きる能力を受け入れます。この能力を発展させ、実らせるために、愛を実践する必要があります。

愛を実践する努力は、愛の能力を発展させ、自分の中にある愛を成長させるために、必要であるだけではなく、聖霊の働きを受けるためにも、結果的に、私たちの愛が完成されるためにも不可欠なものなのです。

というのは、聖霊は、ただの力や能力だけではなく、父である神とイエス・キリストと同じように生きた神であり、ペルソナ(位格)でであるからです。聖霊は、私たちを愛してくださる方、私たちの愛を求めておられる方なのです。すべての人々がその望みに応えて、愛に生きるように、聖霊は常に働いてくださいますが、私たちの自由意志を尊重しておられますので、私たちの承諾がなければ、私たちの内で自由に働くことができないのです。

愛に生きるための私たちの努力は、私たちが求めるような成功を収めなくても、聖霊の導きに従いたいという私たちの望みの表現でありますので、必ず、聖霊との交わりを深めるものになっています。同時に、この努力は、聖霊の働きを承諾する表現にもなっていますので、私たちが愛を実践するように努力すればするほど、聖霊がますます自由に、ますます力強く私たちの中で働くことができるのです。

私たちの努力の結果というよりも、聖霊の働きの結果として、私たちは、愛に生きることを不可能にするいろいろな束縛から自由になり、少しずつイエス・キリストが愛したように、愛するようになりますし、イエス・キリストご自身の姿に変えられて行くのです。

すべての人の父である神よ、
きょう祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生に当たって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

主の昇天 C年 (ルカ24,46-53)

「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」ルカ24,46-47

使徒たちと他の弟子たちは、イエスを愛していたし、イエスに大きな希望をかけていたので、イエスが亡くなった時に、イエスを失ってしまい、二度と会うことがないと思って、絶望に陥るほど、悲しくなったのです。

幸いなことに彼らの絶望的な状態は、長く続きませんでした。三日後にイエスが復活されましたので、彼らの悲しみは、大きな喜びに変わったのです。また、彼らはこの体験によって、非常に大事なことを実感しました。すなわち、死さえも、彼らをイエスの愛から引き離すことができないことと、イエスが与えてくださった約束は、実現することの不可能なように見えても、イエスには、この約束を実現する力があるということでした。

イエスの昇天も、弟子たちにとって悲しいことでしたが、イエスの復活の体験によって、今の別れはこの前のイエスの死による別離とは、まったく異なるものでした。今、弟子たちは、イエスの言葉を信じて、イエスが与えてくださった約束は必ず実現されるという確信を持っていました。そのために、昇天による別離は悲しみをもたらしても、絶望にはなっていませんでした。逆に、彼らの心は、大きな希望と平和で満たされていたのです。

イエスが弟子たちに約束してくださったのは、 父である神の家で、彼らのために場所を用意すること、彼らを迎えに来ることと、いつまでも共にいること(ヨハ 14,2)、それから、聖霊、つまりご自分の霊を弟子たちに送ってくださる(ヨハ14,26)ということでした。

イエスが約束通りに送ってくださった聖霊を受けた弟子たちは、イエスの姿が見えなくても、イエスとの愛の交わり、しかも前よりも深い交わりの内に生きることができるようになりました。また、イエスの声が聞こえなくても、イエスの導きに従って生きるように、しかも、前よりも忠実に従って生きるようになったのです。

イエスの霊のおかげで、弟子たちは、イエスから与えられた使命を果たしながら、イエスとの関係を深めることができました。これによって使徒たちは、イエスとの決定的な再会のために、そして、イエスとの完全な一致と同時に、父である神との完全な一致であるイエスとの関係の完成のために、準備をすることができたわけです。

全能の神よ、あなたは御ひとり子イエスを、
苦しみと死を通して栄光に高め、
新しい天と地を開いてくださいました。
主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。
キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、
ともに永遠のいのちに入らせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。