1月19日-1月25日(週)

19日(日)年間第2主日

20日(月)年間第2月曜日

  (聖ファビアノ教皇殉教者、聖セバスチアノ殉教者)

21日(火)聖アグネスおとめ殉教者(記)

22日(水)年間第2水曜日

  (聖ビンセンチオ助祭殉教者)

23日(木)年間第2木曜日

24日(金)聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)

25日(土)聖パウロの回心(祝)

年間第2主日A年 (ヨハ1,29-34)

「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。」ヨハ1,33

洗礼者ヨハネは自分の使命を果たしてイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」として紹介しました。この言葉は、救い主であるイエス自身の使命を表します。イエス・キリストが神によってこの世に遣わされたのは、すべての人々の罪を贖い、それを取り除くためなのです。これこそ福音、「喜ばしい知らせ」ですが、それを聞いても、全然喜ばない人が、特に現代は非常に大勢いるようです。おそらく、この人たちは、別にそれ程悪いことをしていないし、他の多くの人よりも良い人間ですので、罪を取り除く救い主を全く必要としていないと考えているのではないかと思います。

けれども、罪を取り除く救い主を必要としているのは、強盗や殺人などのような犯罪を犯したりする人だけなのでしょうか。このことが分かるためには、イエスの使命を描く洗礼者ヨハネが神から言われた言葉の意味、つまり、「その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」という言葉の意味を理解する必要があります。

誰かに聖霊によって洗礼を授けるというのは、この人を神の愛と神の命にあずからせることですので、イエスが取り除く罪とは、犯罪のことではなく、愛と命の源である神から離れて生きている状態のことなのです。したがって、罪を取り除くということは、神から離れて生きている人を神のもとに導くこと、神と和解させ、神との正しい関係をつくることなのです。

人間は、愛と命の源である神との正しい関係に入らない限り、いろいろな恐れや心配、また、執着や心の傷などによって左右されるし、愛に生きることができませんので、たとえ何の犯罪も犯したことがなくても、自分の心の最も深い望みに従って真の愛に生きることのできない人こそ、罪を取り除く救い主、すなわち、イエス・キリストを必要としているわけです。

天地万物を治められる神よ、
あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
世界に平和への道を示してください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主
イエス・キリストによって。アーメン。

 

主の洗礼(A年) (マタ3,13-17)

「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」マタ3,15

人類の歴史、特にイスラエル人の歴史が示している通りに、人間は、自分の力だけでは神の愛に愛を以て応えることができないのです。結果として、人間は神との一致という自分の存在の目的に達することができないわけです。 神が御ひとり子をそのような人々のところにお遣わしになったのは、彼が人間になって、つまり人間性を受け入れることによってすべての人と結ばれ、全人類の名によって、罪の暗闇の中から神の愛に愛を以て応えるためなのです。これによって神と人類との間の和解が実現されること、つまり永遠に続く新しい契約が結ばれることが、計画されていたのです。

同時にイエスが、神の愛に忠実に生きることによって、あらゆる罪を赦すことのできる神の愛、また、人間をあらゆる罪の奴隷状態から解放することのできる神の愛を、すべての人々に現すことを神は望まれましたので、イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けた瞬間は、神がイエスを罪人の手に引き渡す瞬間でもあったと言えます。

イエスにとって洗礼を受けることは、この使命を果たすために、全人類の罪の結果を受け入れなければならないということ、それから預言者イザヤが預言した通りに、罪人の手の中に苦しむ僕(しもべ)にならなければならないということを、はっきりと意識しながらこの使命を受け入れる瞬間であったとも言えるのです。この意味で水の洗礼は、血の洗礼、つまり十字架の死を先取りしているわけです。

イエスがご自分の命を掛けて成し遂げてくださった救いの業を感謝し、イエスが現わしてくださった神の愛に信頼しながら、イエスの模範と助けに支えられて、父である神から与えられた使命を果たすことによって、神の心に適う人となり、神の愛と命にあずかることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

1月5日-1月11日(2週)

5日(日)主の公現 

6日(月)降誕節月曜日(主の公現後)

7日(火)降誕節火曜日(主の公現後)

        (聖ライムンド -ベニャフォル- 司祭)

8日(水)降誕節水曜日(主の公現後)

9日(木)降誕節木曜日(主の公現後)

10日(金)降誕節金曜日(主の公現後)

11日(土)降誕節土曜日(主の公現後)

12月29日-1月4日

29日(日) 聖家族

30日(月)主の降誕第6日 

31日(火)主の降誕第7日

     (聖シルベストロ1世教皇)

1日(水)神の母聖マリア(祭)

2日(木)聖バジリオ 聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士(記)

3日(金)降誕節金曜日(主の公現前)

    (イエスのみ名)

4日(土) 降誕節土曜日(主の公現前)

聖家族(A年) (マタ2,13-15.19-23)

「そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。」マタ 2,21-23

聖ヨセフは、生じた問題を解決するために、一生懸命に正しい方法、愛する人のための最善の方法を探していました。けれども、自分が良いと思うような解決の方法を見つけたとしても、神のみ旨がそれと異なると分かった時には、自分の考えを手放して、神の導きに従ったのです。聖ヨセフがこのようにしたのは、自分の愛よりも神の愛の方が大きくて、自分の知識と知恵よりも神の知識と知恵の方が大きく、更に、自分の判断よりも、神の判断の方が正しいということを知っていたからです。このように生きたヨセフは、最高の夫と最高の保護者になり、神から与えられた使命を果たすことによって、最高の人生を送り、神の心に適う人間となったのです。

創造主であり父である神は、ご自分の御ひとり子であるイエスのためだけではなく、すべての人のために特別な計画を持っておられます。実は、一人ひとりが生き始める前から、神はこの人に合わせて、この人にとって最高の計画を立ててくださり、この人がこの計画を実現するために、いつも必要な導きと必要な力を与えてくださるのです。ですから、神が準備してくださった計画が人の存在の目的、また、その意義であるとさえ言えるのです。人間は、この計画に従って生きている時だけ、創造主の意向に適って、すなわち、自分らしく生きていることも、最高の自分に、と同時に最高に幸せな自分になることもできるのです。

私たちが誰かを本当に愛していて、この人の真の幸せを求めているならば、この人を自分の想像や自分の期待に合わせるのではなく、この人自身が自分のために神が立ててくださった計画を見出せるように、それから、この計画に合わせて生きられるように支え、協力するはずです。このように生きることによってこそ私たちも、最高の夫や最高の妻、最高の父や最高の母、また、最高の兄弟や最高の友となり、最高の家族、最高の共同体、ひいては最高の社会を作ることができるのです。要するに、自らが神の望みに従って生き、他の人も神の望みに従って生きるよう、この人を支えることによって、聖ヨセフと同じように、神の国の実現のために大きく貢献することができるということなのです。

恵み豊かな父よ、あなたは、
聖家族を模範として与えてくださいました。
わたしたちが聖家族にならい、
愛のきずなに結ばれて、
あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

12月22日-12月28日(52週)

22日(日)待降節第主日(A年)

23日(月)降誕二日前

   (聖ヨハネ -ケンティ- 司祭)

24日(火)降誕一日前

25日(水)主の降誕(祭)

    主の降誕(夜半)
    主の降誕(早朝)
    主の降誕(日中)

26日(木)聖ステファノ殉教者(祝)

27日(金)聖ヨハネ使徒福音記者(祝)

28日(土)幼子殉教者(祝)