Get Adobe Flash player

alt 「シモンとその仲間はイエスの後を追い、

見つけると、「みんなが捜しています」と言った。

 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。

そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

マコ 1:36-38


  •  もし、2000年前と同じように現在もイエスが頼まれた時に必ず病気の人を癒してくださったならば、どんなことになったのでしょうか。恐らく、聖マルコが描いているように、数え切れないほどの人々、もしかしたら殆すべての人々がイエスのもとに集まったのではないかと思います。けれども、実際にイエスが人の願いに応じないことがあり、すべての人の病気を治すわけではありません。そのために、病気を治してもらいたい人々の中に、イエスに関してがっかりする人があっても不思議ではないと思います。どうして、イエスはすべての人の病気を癒やさないのでしょうか。どうして、自分に関してがっかりする気持ちをもつことを許しているのでしょうか。
  • 確かに、ペトロの姑のように、癒しの恵みを体験することによって、感謝に満たされ、他の人に奉仕するようになる人、つまり体の癒しだけではなく、心の癒しをも受け入れる人がいますが、殆どの人は、感謝をしなければ、自分の生き方を変えることもありませんし、勝手に自分の都合のためにイエスを利用しようとしているだけです。
  • イエスが求めているのは、すべての人が完全に幸せに生きるということです。従って、体だけではなく、心も魂も癒したいのです。最終的に、父である神が私たちの完全な癒しなのです。というのは、完全な愛に神と一つになったとき初めて、人間のすべての必要性が満たされ、すべての飢えと渇きが癒されるからです。そのために、イエスは私たち一人ひとりに合わせて、父である神のもとに導こうとしています。大事なのは、イエスに信頼して、自分の期待に合わない言葉や行いにおいても、キリストの愛と導きを見出して、それに従うことなのです。

コメントを追加

サイド内検索